心の病のはざま、私の場合
現在、文化庁長官をされている河合隼雄さ
んはよく知られているように、日本における
ユング心理学の草分けのひとりであり、著名
な心理療法家(カウンセラー)であるわけだ
が、このひとの本が私は今ひとつ信用できな
かった時期があった。
私は「うつ」や神経症といった心の病を患
う以前からこのひとの本を読んでいたし、そ
こから勇気づけられることも、なるほどと納
得させられることもずいぶん多かったのに、
どうしても百パーセント好きになることがで
きない。結局、話がやばい方向に向かうと、
このひとはうまく逃げてしまうことが多いよ
うに思えた。それは読者が自分で考えて決断
すべきことで、そこで身を引くのがカウンセ
ラーの役目なのかもしれないけれど、本の読
者としてはそれでは物足りないし面白くない
。吉本隆明や養老孟司はやばいことも身体を
張ってきちんと言い切っているぞ、と私は言
い返したくなる。
私の主治医だった精神科の先生にこの話を
すると、先生は「あなた、そこまで分かりま
すか」と驚いておられた。どうやら業界では
それは有名な話であるらしい。先生は私にい
ろんな裏話を教えて下さったけれど、それを
ここに書くわけにはゆかない。「医者の愚痴
を聞けるようになったら患者として一人前」
と言うけれど、私も幸か不幸かどうやら一人
前の患者にはなっていたようである。治癒へ
の大きな前進である。
ただ、心の病の治癒というのは、必ずしも
病む以前の状態に戻ることではない、という
ことは河合さんに限らず多くの専門家が指摘
されることで、それは病み始めた頃から私も
うすうす気づいていた。おそらくこの病は生
きて歳を重ねてゆくための必然であって、さ
なぎが外皮を脱ぎ捨てて成虫になる苦しみの
ようなものなのだろう、という予感があった
。しかし、それを素直に認めて覚悟を決める
ために、これまで経験したことがない苦痛を
忍ぶことになった。こんな辛い思いは、でき
ることならもう二度と体験したくない。
精神的にも現実的にも、人間は何の規準も
無い虚空の中をひとりでさまよっているに過
ぎないんだ、ということを病の中で嫌という
ほど思い知らされる。そんなの当たり前じゃ
ないか、と言われそうだけれど、一応ひとな
みの生活を続けながら「うつ」や神経症の症
状の中でそれを生きるのは耐えがたい苦痛で
ある。他のひとはどうなのか知らないが、私
の場合、頭は以前にも増して醒めているので
どこにも出口は無い。いっそのこと、完全に
ドロップアウトして入院したりひきこもった
りしてしまう方が楽なのではないか、とまで
思ってしまう。規則正しい生活を守ること、
時には薬の力を借りてでもよく眠ること、最
悪の場合は仕事から離れておとなしく静養す
ること。そんなふうにやり過ごす他になすす
べは無かった。
「徒然草」ではないけれど、そんな人間に
は確かにものがよく見えてくることがあるよ
うに思う。それで結局「ものぐるほし」くな
るのである。試しに「つれづれ」を手許の古
語辞典で引いてみると、ちょっと長いけれど
「心に求めるものがありながら、それが満た
されぬ思いをいう。本来はすべきことがあり
ながら、当面何もすることがなく、あるいは
何をしても面白くない状態」とある。心の病
をこれほど的確に言い当てた文を私は今初め
て発見した。それが、部屋にずっと前から置
いてあった古語辞典の片隅に記載されていた
のだから全く奇妙なものだ。
明日にでも書店に出掛けて「徒然草」を買
ってくるのが良いのだろうが、そんな人間は
文章を書く前に、とりあえず他人が書いた文
章を手当たりしだい読み漁ることになる。ワ
ラをもつかむ思い、である。そんな読者には
著者がどの程度の気持ちで文章を書いている
か、ということがたちどころに分かるように
なる。冒頭に書いたように、河合隼雄さんの
「逃げ」を見逃すことも無い。
しかし、そんな本の読み方には余裕が無い
のも確かであって、その「逃げ」のために河
合さんの良さをきちんと受けとめられなくな
ってしまうことにもなる。その余裕の無さが
まさに心の病の特徴なのだが、それゆえに治
癒が遅れてしまう。あまり本ばかり読んでい
ないで、生で音楽を聴いたり、友人と会った
り、外を歩いたり、美味しいものを少しでも
食べたりする方が大切なことになる。いつも
のように近所の温泉の外湯に入って、馴染み
の理髪店で丁寧に髪を切ってもらうのも欠か
してはいけない。
結局、それは孤独という病気なのかもしれ
ない。孤独というのは妖怪ぬらりひょんのよ
うに伸縮自在な怪物であって、その時の気分
しだいで、まるで宇宙全体を覆う悪魔のよう
にも思えるし、私ひとりの小さな思い込みの
ようにも感じられる。思い詰めるほど真実に
近づくように思えるのもこの病気の特徴だろ
う。しかし、心の病の中にあってはそれをど
うすることもできない。その、悪魔のような
思い込みは常にいくらかの真実を含んでいる
からだ。昔、谷山浩子の歌に「ひとりがさみ
しいなんてただの病気さ」という詞があった
のを忘れずにいて良かったと思う。
そんな「孤独」について考える時、幼い頃
に読んだ「ギネスブック」にひとりの人間が
他の人間から最も遠く離れた記録、というの
があったのを忘れることができない。それは
アポロ宇宙船が月面にふたりの飛行士を降ろ
した後、ひとりで月を周る宇宙船に残った飛
行士が月の裏側にまわった時の記録だそうだ
。ひとりで宇宙船に残された飛行士は月の直
径分以上、数千キロの距離をおいてふたりの
仲間と隔絶し、地球にいる大勢の同胞とは四
十万キロ近くの距離を隔てている。また、そ
の宇宙船の窓から母なる地球は見えず、ふた
りの仲間が歩く月の表面を見ることもできな
い。目の前には見知らぬ月の裏側と暗黒の星
空が広がっているだけである。しかもその間
、仲間の飛行士とも地球とも無線連絡をとる
ことはできない。宇宙船内は狭い上に無重力
である。
たとえ数時間の間とは言え、こんな極限の
孤独に耐えられるのは苛酷な訓練を受けた宇
宙飛行士だけなのだろう。我々が感じるよう
な地上の孤独とは全く異なるのは明らかなの
に、私は幼い頃からずっと、この記録を忘れ
ることができなかった。私の前に現れる、こ
の地上の無表情な人間どもはつまらない幻で
はないのか、と疑念を抱くたびに私は孤独な
宇宙飛行士のことを考えていた。その疑念が
強く現れているのが今の私の病だとすれば、
まともな自我がそれを再び覆いつくすことが
できるようになれば、私の病は終わるのだろ
うと思う。
そんな心の病の渦中にいると、この病が本
当に回復するなんてことがあるんだろうか、
という疑念に常につきまとわれる。つまり、
神経が過敏になってゆくことと自分が成長す
ることを混同してしまっているわけである。
「過敏」ではなくて「しなやか」を獲得する
ことがここで何よりも必要なわけだが、その
乗り越えがこれほど苛酷なこととは思わなか
った。
それは努力だけではどうにもならないし、
何もしないでただ待っているわけにもゆかな
い。これまでの自分にそんな危機があっても
若い体力と世間知らずさで何とか乗り切って
きた、しかし、もうその手を使うことはでき
ない。今まで先のばしにしてきた決断を下し
て、ずっと手許においてきた何かを手放さな
くてはならない。その時、孤独な宇宙船が月
の表面や地球に向けて軌道を進み始めるよう
に、あるいは夜空が白み始めるように、私を
とりまく世界が動き始めるはずなのだが…
でもなあ、と私は愚痴のひとつも言ってみ
たくなる。そんな、誰もが患う可能性がある
心の病をとりまく状況はずいぶん貧弱なもの
ではないか。世間の連中の無理解はある程度
仕方がないとしても、それと専門に取り組ん
でおられる精神科医と心理療法家の間にはい
ろんな意味で深い溝があるみたいだ。私は幸
いウマが合う先生にめぐり会うことができた
。話をふむふむと聴いてくれて薬を処方して
、押しつけがましいことは一切言わない先生
だった。
しかし、著名な精神科医が書いた「うつ」
や神経症の本を読んでも、そこに病気の研究
に関する卓見はあっても患者の心に響く言葉
を見い出すことはできなかった。また、心理
療法家は精神科医の治療に批判的な立場にい
ることが多いように私には思えた。これでは
患者の立つ瀬が無いと私は思う。
患者がいちばん知りたいこと、つまり心の
病は身体の病気とどう違うのか、その薬はど
んな性格のものなのか、患者が持つべき心構
えとは何なのか、私の主治医だった先生はさ
りげなくそれを教えて下さったように思うけ
れど、ちまたにあふれる本の中でそれにめぐ
り会うことはできなかった。そんなシンプル
で大事な真実を、偉い先生方はどうしてきち
んと書かないのだろうか。
たとえば、「うつ」の薬はかぜ薬のような
もので、症状を和らげるだけで根本的な治療
をする薬ではない、ということを知って私は
愕然とした。結局、この病は薬で症状を抑え
ながら、自然治癒を待つなり自分で乗り越え
るしかない、ということを私はひとりで悟る
しかなかったのである。
そのおかげで私は荒野をさまようことにな
ったわけで、それが私の人生の必然であった
としても、そしてそこから貴重な実りを数多
く得たにしても、それでも「この野郎!」と
私は誰に対するでもなく怒っているのだ。