ワンダーランド
東京の初台(新宿区)で開かれていた「森
山・新宿・荒木」展を観た。森山大道と荒木
経惟、ふたりの写真家が新宿で撮り続けてき
た写真の圧倒的なモザイク。それが互いに対
立することなく、もたれあうこともなく、一
枚のコインの表と裏のように、まさに「コラ
ボレート」していると私は感じた。安易な競
作ではなくて孤独な共作、せめぎあいと絡み
合い、断絶と連続。こうして言葉を並べてみ
ても、あの写真群が生み出していた磁場のよ
うなものを言い当てることは難しい。
もちろんそれが写真の力なのだけれど、そ
れが不思議な優しさで観る者をつつみこんで
くれるのはどうしてなのだろう。森山大道の
写真はまさに新宿に広がる「ざらつく現実」
の複写としか言いようがないし、荒木経惟が
写す歌舞伎町の風俗嬢はとても素敵に微笑ん
でいるけれど、それは夜の闇を一瞬だけ照ら
すストロボが映し出したリアルな幻影なのか
もしれない。そこにあったのは決して甘い写
真ではなかった。むしろ、絢爛たるリアリズ
ムの極致と言ってよかったと思う。
喜びも悲しみも、快楽も苦痛も凡庸も、全
てをつつみこんで流れてゆく現実の中にあっ
て、何物にもとらわれずに写真を撮る快楽だ
けに忠実になって全てを撮り続けること。そ
れがおそらく「私写真」というものだろうと
思うけれど、その力と優しさを私は初めて目
の当たりにしたのだった。
それは、写真家が深い孤独を受け入れるこ
とで初めて可能になることではないか、とい
う気がする。つまり、カメラは写真家の孤独
を研ぎ澄ます刃物のような道具であって、そ
れを用いて現実を引き裂いてゆくことが、い
つしかこの世界の優しさをあらわにすること
になる。それが写真の最大の逆説なのかもし
れない。その時、写真家のつまらない思いこ
みは消え去って、世界のリアルな様相が出現
する。それは写真による「ワンダーランド」
である。最近の、カメラを携帯電話のように
使う甘ったれた写真家たちには絶対に不可能
な力業である。
ところで、リアルとリアリズムは違うんだ
、という意味のことを荒木経惟は言っていた
ことがあったけれど、彼の写真の前では従来
のちゃちなリアリズムなど吹けば飛ぶような
ものであるし、微細に克明に写すことなどリ
アリズムの技法のひとつに過ぎない、という
ことは森山大道の写真を見れば分かる。徹底
した「私写真」というものが、従来のリアリ
ズムを取りこんだうえで、それをはるかに上
まわる広大さを持っている、ということだと
私は思う。それを見せつけてくれた凄まじい
写真群だったと思う。
それはリアルでありながら幻惑的で、冷徹
でありながら優しい夢にあふれている。圧倒
的でありながら何物をも押しつけてはこない
。そのリアルな優しさを求めて、たくさんの
ひとがおそらく無意識のうちに会場にやって
来る。流行りの言葉で言えば、それが何より
の「癒し」になっている。写真の不思議な力
である。
それは、新宿という街の底知れない深みで
もあるのだろう。その展覧会が、あの、オペ
ラシティーという新宿のビルで行われたのも
、実は絶妙な取り合わせだったのかもしれな
い。アートを標榜する、しかし冷たいビルの
中にぽつんと現れた、まるで胎内のような街
の温もり。会場の壁面の一角に、二十代の森
山大道が撮った胎児の写真が印刷されていた
のを思い出して、私はそんなことを考えた。
そして、荒木経惟が撮り続けた歌舞伎町の風
俗店も、実はそんな「胎内」だったのかもし
れない。精液が放出される暗闇なのだから、
それは胎内には違いない、と言ってしまえば
それまでだけど。
いろんな思いに満たされて会場を出ると、
そこはワンダーランドとはとても思えない、
とげとげしくて無機質な新宿の街である。私
は新宿という街は好きだけれど、怖くてそこ
で写真を撮ることは今のところできないし、
ましてや夜の歌舞伎町に繰り出す度胸も無い
。上京した折、つまり休日の昼間に人混みに
流されて書店やカメラ店やCDショップを回
っているだけである。
私個人の新宿の思い出といえば、十年以上
前、友人がバーテンダーをやっていたDUG
で何回か飲んだことがあるくらいだけれど、
そこで荒木さんをお見かけしたことはあった
。あの店でバーテンダーの友人と昔話をした
り、店主の写真家、中平穂積さんが撮影した
ジャズミュージシャンのポストカードを買っ
たりするのが私は好きだった。もしかしたら
、それがもうひとつの新宿の入口だったのか
もしれないけれど、私は友人が作ってくれた
カクテルを飲むだけで、それ以上その奥に入
ることはなかったし、彼が店を辞めてしまっ
てから、いつのまにかDUGからも足が遠の
いてしまった。それはバブル経済の最終期、
つまり荒木さんが一番精力的に歌舞伎町を撮
っていた時期で、今思えばとても懐かしい。
歌舞伎町の写真を会場で観て、私はそれを思
い出した。
私が今より若かったせいもあると思うけれ
ど、新宿に限らずあの頃の東京の繁華街には
くっきりとした輪郭があったと思う。今は、
地名が単なる記号になってしまったひと混み
のように思えて、そこを歩くと私はすぐに疲
れてしまう。
私がパリに行った時、人口密度では東京に
負けないはずなのに、町に確実に存在した温
かい輪郭のようなものに感動したのは忘れら
れない。パリは決して安全な町ではなくて、
私自身も泥棒に会いそうになってしまったけ
れど、それでも臆することなくひとりで町を
歩き、写真を撮りまくることができた。山手
線の内側くらいしかない、というパリの小さ
さも実感できた。それ以来、私は東京の巨大
さと、手掛かりの無い均質さばかりが気にな
ってしまうのだ。
そんな東京の脆さは、その後各地で頻発し
た地震や地下鉄サリン事件で証明されたはず
なのに、東京にうごめく人々はそれにさえ無
関心でいるように私には見えてしまう。
バブルが始まる頃、私は世田谷の裏町に下
宿していたけれど、そこでは下町の息づかい
を濃厚に感じることができた。それは「故郷
としての東京」なのかもしれない。絵に描い
たような下町情緒ともそれは少し違うのだが
、もしかしたらそれが私の東京を解きほぐす
糸口なのかもしれない。当然のことだけれど
、そこだって「新宿」につながっているのだ
から。