「幸福論」と口にしようものなら、今の時
代はとりわけ舞い上がって聞こえてしまうの
かもしれない。私自身、それについて真剣に
考えたことはあまり無いし、そう題された本
をこれまで読み通したことも無い。ただ、今
から二十年くらい前のバブル経済絶頂期に、
明石屋さんまがテレビのCMで「幸せって何
だっけ何だっけ?」と笑顔で語りかけていた
のを私は今でも忘れられずにいる。
ところで、私はふだん新聞を読まないたち
なのだけれど、実家に帰省すると手持ちぶた
さになるので急に熱心にそれを読むようにな
る。八月の新聞は毎年、戦後という時代をふ
り返る記事に満ちているけれど、その中で社
会学者の見田宗介(みた・むねすけ)さんが
「幸福」についてコメントした記事を私はく
り返し読んでしまった。
見田宗介というひとは、宮沢賢治の座談会
に出席したり、無名の学生たちが詠んだ短歌
を分析した記事を読んだ記憶があるくらいで
、私はこのひとの仕事について何も知らない
し、その本を読んだこともない。ただ、この
記事の中で見田さんが、六十年代前半の日本
の大衆は幸福感に満たされていた、と発言し
ていたのに私は興味をひかれた。当時の流行
歌、たとえば「幸せなら手をたたこう」とか
「こんにちは赤ちゃん」は目標としての幸福
ではなくて、今この手の中にある幸福を歌っ
ていた、と見田さんはそこで述べている。そ
して、革命や終戦や独立の直後でもないのに
これほどの幸福感が共有された時代は世界史
的に見ても異例だと思う、と続けている。
世界史的に、というのはちょっと大げさな
気もするし、私はこの時代を経験していない
から残念ながらその幸福感はよく分からない
。ただ、世の中の矛盾はその頃もたくさんあ
っただろうし、幸福を実感できなかったひと
もたくさんいたはずだ。それでも、世の中の
仕組みが今ほど複雑でなくてのんびりしてい
て、未来への希望が確実に存在していた、六
十年代前半というのはそんな時代だったのか
もしれない、と私は想像してみる。
そんなことを思うのも、実家に帰ると私は
そこにある「サザエさん」をいつも読み返し
てしまうからだ。現在もテレビで放映されて
いるアニメ版「サザエさん」は私は嫌いだけ
れど、朝日新聞に長年連載されていた長谷川
町子直筆の四コマ版「サザエさん」は数十年
前の時代の風を伝えてくれるような気がして
、私は飽きずに何度も読み返してしまう。
その時代に限ったことではないけれど、四
コマ版「サザエさん」に描かれている社会は
、私には皆が充足して幸せそうに見えるので
ある。そこではサザエさん一家だけではなく
て、たとえば、その背景に登場する町の食堂
のおやじさんとか、駅で帰省列車を待ちなが
ら編み物をして座りこんでいるどこかのお母
さんといった市井のひとびとが実に安らいで
描かれている。そして、人間だけでなくて路
地を行く野良犬や野良猫でさえものんびりと
あくびをして、自分が自分であることに充足
したうえで、ささやかかもしれないけれど揺
るぎない希望と幸福に満たされている。そん
な時代への郷愁が、その後に生まれた世代に
まで共有されているからこそ、「サザエさん
」は作者の死を越えて今も生き続けているの
だろう。
ところで、最初に書いた見田宗介さんのコ
メントの最後の方に「当時の日本人は、今よ
りはるかに広く行き渡った幸福感に満たされ
ていた」という文がある。幸福というのは他
愛ない空気のように世の中に漂っているもの
であって、それを論じたりすること自体が間
違っているのかもしれない。見田さんのコメ
ントには、幸福感は経済の発展や情報の量と
は必ずしも相関しないことを示す調査結果も
紹介されている。日本よりも明らかに「豊か
でない」メキシコやナイジェリアの方が幸福
を感じているひとの割合が多いと言うのだけ
れど、幸福を経済と比較すること自体、我々
が病んでいる証拠ではないのか、と私は思っ
てしまう。
そこで私は「サザエさん」ではなくて「ム
ーミン」のことを考えてみたりする。これは
、苛酷な歴史と自然を経験して平和と福祉を
手にした北欧に生まれた作家、トーベ・ヤン
ソンが書き続けたあまりにも有名なファンタ
ジーである。それについて作者自身が「ムー
ミンの家族はいたって自然なかたちでしあわ
せなので、自分たちがしあわせだということ
さえ知らない」と書いていたのを私はとても
懐かしく思い出す。つまり、「ムーミン」の
ように、苛酷ではあっても豊かな自然と共存
した文明の中で、孤独と自由と連帯と愛情が
暖かく融けあっている人間のあり方、それを
私は幸福と呼んでみたいのだ。そんな幸福な
社会では、「努力」とか「才能」という言葉
でさえ今の日本とは全く別の意味を帯びるこ
とだろう。
余談ではあるけれど、長谷川町子もトーベ
・ヤンソンも、生涯独身を通した長命の女性
だったと私は記憶している。ふたりが描き続
けた作品世界は大きく異なるけれど、両者と
も、その幸福な作品世界の形成には作者の母
親が大きく影を落としていたと思う。サザエ
さんの母フネも、あの素敵なムーミンママの
モデルもともに作者の母親であるらしい。フ
ネとムーミンママ、彼女たちは地味なキャラ
クターであるかもしれないし、その性格も大
きく異なるけれど、彼女たちは自らの心の声
に耳を傾けるだけの強さと慈愛を持ちあわせ
ている。このふたりの「母」がいなければ、
ふたつの作品世界の幸福はあり得ないだろう
。もしかしたら、「幸福」には自律した母性
が何よりも必要なのかもしれない。
話をもどすと、我々がしばしば幸福の指標
にしてしまう経済原則とは「金は天下の回り
もの」ということわざのとおり、貨幣を媒介
にして「労働」と「消費」と「蓄積」と「幻
想」を拡大してゆく巨大なシステムである。
もちろん、このシステムは幸福を作り上げる
力強い手段になる。しかし、変なたとえにな
るが、豪華な料理を食べるのは幸せなことだ
けれど、どんな豪華な料理でも食べ終わって
半日も経てば再び腹が減ってしまう。そこで
また豪華な料理ばかりくり返し食べ続けてい
ると、たとえ目先を変えたとしてもいずれ飽
きてしまうか、身体をこわしてしまうか、財
布が干上がってしまうか、あるいは資源の枯
渇や環境破壊を招いてしまうかのいずれかで
ある。
要するに、現在の経済原則は貧しい時代に
考案された古いものなので、豊かさに対する
歯止めが無いのだろうと私は思う。だから、
当初は実現するはずの無かった豊かさが、ま
かり間違って現在の日本のように実現してし
まうと、それは現実離れした大ウソになるし
かないのだと私は思う。もう私はこんな大ウ
ソにふり回されたくはない。私の不勉強とは
思うけれど、経済原則というのはこんなにち
ゃちなものでしかないのだろうか。
そんなことは私ごときが言うまでもないこ
とだとは思うけれど、それをみんな本当に分
かっているんだろうか、と私は常々不思議に
思わされている。これでは、自殺したりひき
こもったりして人間をやめたくなるひとが増
えるのも不思議ではないだろう。
また、違っていたらごめんなさい、だけど
、数年前、村上龍が、「これからの世の中は
、ひとりひとりにひとつでも希望が持てれば
良いのだ」というようなことを言っていたよ
うに私は記憶している。これもずいぶん危う
い考え方ではないか、と私は思う。宮沢賢治
のように「宇宙全体が幸せにならなければ個
人の幸せもあり得ない」というのも、その逆
の意味で極端な考え方で私はあまり好きにな
れないけれど、幸福というのは「ひとりひと
り」、養老孟司さんなら「個性」と言うと思
うけれど、それを過度に肯定する冷やかで孤
独な社会には決して訪れないのではないか、
という気がする。
この際だから偉そうなことを言ってしまう
けれど、幸福とは身内で独占するものではな
くて、他人と分かちあうことで本物になる不
思議な優しさのことではなかったのか。
そこで私が思い出すのが「おすそ分け」と
いう今や死語に近い言葉である。もしかした
ら、そんな行いの中に幸福の意外な本質があ
るのかもしれないし、そうであれば「おすそ
分け」は現在の経済原則とは別のところにあ
る我々のごく古い習慣なのだろう。「ムーミ
ン」のことはよく知らないけれど、「サザエ
さん」には笑いや失敗を伴う「おすそ分け」
がしばしば登場する。「サザエさん」は経済
原則と幸福を分けあう習慣が適度に調和した
幸せな世界であることがここにも現れている
、と私は思う。
くり返しになるけれど、個性を過度に尊重
することは経済原則を偏重することにつなが
って、結局ひとは孤立して不幸になる。「個
性を尊重するよりも他人の気持ちが分かるよ
うになる方がどれだけ人生が豊かになるか」
と養老さんは繰り返し口にしておられるけれ
ど、実はこれが究極の「幸福論」なのかもし
れない。
そして、話は変わるかもしれないけれど、
経済原則と微妙な関係を保っているアートの
世界は写真も含めて、実は「個性」を錦の御
旗とする階級社会である。
それはアートにとってこの上ない不幸では
ないのか、と私は思う。アートの場合、作品
の優劣は厳然と存在してしまうけれど、それ
がしばしば無意味で強固な階級にすり変わっ
てしまって、天才とアマチュアと観客をはっ
きり分断してしまうことにつながる。これで
はアートの幸福を他者におすそ分けすること
が原理的に不可能になってしまう。個性や経
済原則が過度に偏重される社会では、誰にと
っても果てしなく幸福で厳しいはずのアート
というものが、不毛な孤独の中に閉じこめら
れてしまうのかもしれない。たとえば、ひと
びとが天才に対して「あのひとは我々と違う
特別なひとだから」とか「運の良かったひと
だから」と思いこんでしまうのは、決して幸
せなことではないと私は思う。
結局、尽きない泉のように溢れ出るアート
の幸福を世の中に行き渡らせるためには、ひ
と握りの天才の力だけでは不可能ではないの
かと私は思う。それこそ尽きない泉のように
制作を続ける幸福で厳しいアマチュアと、両
者を見守り続けるたくさんの観客がアートの
幸福のためにどうしても必要なのだと私は思
う。その時、天才と厳しいアマチュアと観客
の幸福が本当に通底するのだと私は思うし、
その幸福を作り上げるための努力は、もしか
したら三者とも同じなのかもしれない。
それにしても、「自分にうそをつかないよ
うに制作する」という真摯な芸術家の言葉が
、しばしば空っぽに聞こえるのはどうしてな
のだろう。アートで自己表現、とか世の中に
何かを訴える、とかいう薄っぺらな立場を避
けると、芸術家はしばしばこんな窮屈な「個
性」に縛られてしまう。きっと、何かが間違
っているのだ。だから、優れた芸術家は不器
用な苦闘の果てに「個性」から「普遍」に突
き抜けようとする。しかし、もしかしたら例
外はあるのかもしれないけれど、彼らが「普
遍」に到達した作品を生み出せたとしても、
それが芸術家という一個人の個性から生まれ
た作品であることに変わりはない。
この堂々めぐりに縛られることなくアート
の幸福を素直に他者におすそ分けできるよう
になるにはどうすればよいのだろう。前述の
とおり、観客の力が無ければアートは幸福な
出口を見い出すことはできないのだが、観客
にも相応の習練が必要なのだろうか。しかし
、芸術家に限らずひとは誰でもこの現実を生
き抜くために日々習練を重ねているではない
か。それが経済原則のためだけではなくて、
みずからの幸福のおすそ分けのためにも使わ
れているのだ、ということを素直に認められ
る社会であれば、もしかしたら天才もアマチ
ュアも観客も自由になれるのかもしれない。
この幸福と自由は決して経済原則を否定する
ものではないのだけれど、それとは別の、汲
めども尽きない永遠の泉を思わせるのだ。
こんな偉そうなことを私が言うのも、今ま
で私自身、まるで飢えた子どものように癒さ
れることを求めてきたのに、ようやく「与え
ることの幸福」の一端に気がつき始めたから
なのかもしれない。
それは辛いこともあるのだけれど、私の意
思とは無関係に、確かに泉のように自然に、
そして果てしなく私の中から湧き出てくる。
そのおかげで、ひとはみな深いところでつな
がっているのだ、ということが私はようやく
分かるようになってきたと思う。おそらく、
全ての人間は本来そういうふうに出来ている
のだろう。その前では、現在の経済原則は重
要ではあってもかりそめにしか過ぎなくなる
。それが「生命の力」とか「生きる喜び」な
のかもしれない。
しかし、その泉は「無償の献身」とも違っ
て、うまく言えないけれど、結局は経済原則
と別のシステムで私を精神的にも、時には物
質的にも富ませてくれるのである。それが私
の「幸福論」の一端なのだろう。であれば、
この世界は決して空しい荒野ではないのだろ
う。
この世界は限りなく多義的で重層的で、全
てがどこか深いところでつながっている。そ
れは、そこに生まれたひとりひとりがそれぞ
れの発見をし続けるための快楽の迷路なのか
もしれない。その果てしない自由の中では現
実的な距離や時間や苦痛でさえも意味を失っ
てしまうのかもしれない。とすると、我々の
人生にとって何よりも辛い死や別れを過度に
恐れ悲しむ必要も無くなるのだろうか。ただ
、人間という生き物がそこまで優しく強くな
ってしまって良いのかどうか私には判らない
。だから、私は折りにふれて涙を流すしかな
いのだけれど。
ゴーギャンの絵のタイトルのように、本当
に、私は、そして私たちはいったい何者なの
だろうか?、今どこにいるのだろうか?、そ
してどこへ向かっているのだろうか? これ
に答えようとするのが本物の「幸福論」なの
だと私は思っている。