煙が目にしみる

しばらく前の「なんじゃもんじゃ」に、グ レイト・ジャズ・トリオの新作に聴き入って いる話を書いたけれど、あのレコード、「サ ムデイ・マイ・プリンス・ウイル・カム」は 本当に飽きがこなくて、今も時折聴きほれて いる。
 このトリオはハンク・ジョーンズのピアノ をリーダーに据えた日本のレコード会社の企 画もので、今回のベースはリチャード・デイ ビス、そしてドラムスはハンクの弟エルビン という超ベテランの組み合わせによる豪華盤 である。ちなみに、録音時のハンクはすでに 八十代なかばだし、他のふたりも七十代に入 っている。しかし、演奏に衰えは全く無く、 逆に若々しい風格さえ感じられる。
 これはアグレッシヴにもオーソドックスに も聴こえる名演だと思うけれど、聴き入って いるさなかにエルビンが亡くなってしまった 。今のところ、この録音が彼のラスト・レコ ーディングであるらしく、亡くなった直後に 私が訪れた渋谷のタワーレコードでは、その むねを記した案内がハンクのコーナーに置か れていた。
 数年前、私は長野市で行われたエルビンの ライヴを聴きに行ったことがあったけれど、 そこで感動したのは、彼のドラムスのパワー でも複雑なリズムでもなくて、そのシンバル の柔らかな響きと、ドラムスを叩いている時 の彼の無邪気で美しい笑顔だった。今まで、 このふたつはレコードでもビデオでも写真で もなかなか伝わっていなかったような気がす る。薄っぺらなシンバルが、エルビンの手に かかるとまるでお寺の鐘のように柔らかく、 深みをもって鳴るのである。あの柔らかな響 きは不思議なほどなつかしくて、それは彼の 笑顔とともに聴き手を暖かくつつみこんで幸 せにしてくれるような気がした。彼の死によ って、それが失われてしまったのが何よりも 悲しい。
 この時のバンド「エルビン・ジョーンズ・ ジャズ・マシーン」の演奏についていろいろ 書いてみたいこともあるのだけれど、私はあ の時以外にそのライヴを聴くことはできなか ったし、レコードにしても、先日ようやく手 に入れた八五年録音の「ピットイン」でのラ イヴ盤を聴き始めたところだから、今は彼の バンドについて書くことはできない。ただ、 エルビンは、パワフルだけれども本当に不器 用で誠実なひとだったのだな、という印象を 受けてはいる。タワーレコードの追悼文に「 独学でドラムスを習得した天才肌のドラマー 」という表現があったと思うけれど、たしか に彼は「天才」というよりも「天才肌」とい う形容がよく似合うと私は思う。月並みだけ れど今は彼の冥福を祈るしかない。そして余 談ながら、日本のジャズミュージシャンと深 い交流を持ち続けた、いわば日本のジャズの 「大恩人」であった彼に、勲章のひとつも贈 れなかった日本の文化政策とはいったい何な んだろうと私はいぶかしんでいる。
 さてさて、話がエルビンの方に傾いてしま ったけれど、彼の兄ハンクのピアノの話をし ていたのだった。そのアルバム「サムデイ・ マイ・プリンス・ウイル・カム」はタイトル 曲を始め、有名なスタンダード曲ばかりが収 録されている。その全ての曲を、ハンクはこ れまでの七十年以上におよぶ長い音楽家人生 の中で繰り返し弾きこなして録音している。 彼は超ベテランのテクニシャンだけれども、 リーダーアルバムよりサイドメンとしての録 音の方がずっと多いひとだから、自分のアル バムだけでなくて、サイドメンとして参加し た他人のアルバムでも決定的な名演をたくさ ん残している。彼はオスカー・ピーターソン のように、たくさんの音をつむぎ出してばり ばり弾きこなすタイプではないからそんなこ とができるわけである。
 たとえば、このアルバムに収録されている 「ユード・ビー・ソー・ナイス…(日本語訳 、帰ってくれればうれしいわ、というのは誤 訳らしいが、英語の曲名をカタカナで記すの は本当にかったるい)」は天才トランペッタ ー、クリフォード・ブラウンと共演したヘレ ン・メリルの名唱で名高いけれど、私はその 数年後にベーシストのポール・チェンバース が「ベース・オン・トップ」で録音した演奏 の方が好きだ。この時のピアノはハンクで、 アルバム全体も当然名演である。最新の「グ レイト・ジャズ・トリオ」では、この曲の演 奏はかろやかにスイングしていて、ここには 五十年近く昔の、「ベース・オン・トップ」 での演奏の影がちらほら聴きとれるような気 がする。
 要するに、最新盤はそのまま聴いても素敵 なのだけれど、ハンクのこれまでの録音を思 い返しながら聴いてみると、彼の長い音楽家 としての歩みが浮かんでくるようなふところ の深さがある。それがかろやかで、全く威圧 的でも懐古的でもないところが本当に素晴ら しい。ピアノのタッチもテクニックも衰える どころか若い頃よりもますます進歩していて 、それが聴き手をゆったりとなごませてくれ る。
 それにしても、歳を重ねるほどかろやかに なってよりスイングする、こんな素敵な歳の とりかたを私もしてみたい。CDジャケット のハンクのポートレートも本当に若々しくて とても八十代には見えない。私は彼のアルバ ムをたくさん持っているわけではないのでは っきりと言えないけれど、最新盤より九年前 に録音された、ベーシストのチャーリー・ヘ イデンとのデュオアルバム「スティール・ア ウェイ」の方が彼の風貌も演奏も重厚に感じ られる。ハンクが見えないところで、今も凄 まじい努力を続けているのは間違いないけれ ど、一線を越えると歳とともに若くかろやか になる、彼はそんなひとなのかもしれない。 もう十数年前のことだけれど、彼と握手した ことがある、という私の知り合いは、ハンク の印象を「紳士」と語っていた。
 そして、最新盤のラストを飾るのは、ハン ク八五歳の誕生日の翌日に録音された「煙が 目にしみる」である。この曲だけがハンクの ソロになっている。この演奏は実にかろやか で、しみじみと、しかし聴き手を泣かすこと なくなごませてくれる。本当に素敵だ。この 演奏に並ぶのは、キース・ジャレットが「ラ ・スカラ」のアンコールで弾いたソロ、「オ ーヴァー・ザ・レインボー」だけではないか と私は思う。
 その、キース・ジャレットのトリオ「スタ ンダーズ」のメンバーの年齢が七十代を迎え た時、きっとこの「グレイト・ジャズ・トリ オ」のような演奏を聴かせてくれるのかもし れないけれど、それは十数年先の楽しみにと っておくことにして、今はハンクの「煙が目 にしみる」に聴きほれていたい。まだ三十代 の私は、あと五十年くらい生きていかなけれ ばそこにたどり着くことができない。でも、 誠実に生き続けていれば、もしかしたら私に もそんな境地が訪れるのかもしれない。私に そんな望みを持たせてくれるくらいにハンク のピアノは優しい。
 この演奏を聴き返すたびに私はいろんなこ とを思うけれど、長い人生をふりかえって、 感傷におぼれることなくそんな優しい気持ち になれるならば、それがひとに新たな望みを もたらすことになるのならば、長生きには価 値があるのだと私は思い知る。
 そんな美しい長生きの価値については、哲 学者レヴィナスの解説書のあとがきにも書い てあったような気がするし、養老孟司さんの 時評にもそんな話があったと思う。おそらく 、それが歳を重ねることの本当の意味なのだ ろう。世間で言われるように、怠惰で傲慢に なるのが「老い」ではないはずなのだ。言葉 を費やすまでもなく、ハンク・ジョーンズの ピアノがそれを教えてくれているような気が する。そして、ハンク本人もピアニストとし てこれから活躍を続けていくはずである。
 それがまた、若くして世を去った天才、た とえば二四歳で「煙が目にしみる」の名演を 残して翌年事故死してしまったクリフォード ・ブラウンや、ピアニストで言えば不治の病 と重い障害をはねのけて力演を残し、三六歳 で病死したミシェル・ペトルチアーニのよう なひとたちに対する、我々の礼儀であるのか もしれない。
 蛇足ながら、私の憧れのピアニスト、ポー ル・ブレイもあと数年後に八十代を迎えたら 、きっと色気たっぷりの怪作を発表して私を 煙に巻いてくれるに違いないと楽しみにして いる。もう五年も経つけれど、松本市で私が ポールさんとお話した折りの写真を最後に載 せておきます。ポールさんは、ふかふかに柔 らかい手を持った、笑顔がとても素敵なひと でした。



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