【 闇 】
長崎県佐世保で、小学校六年生の女の子が
同級生の女の子に切り殺された。皆さんご存
じのように、自分のホームページにデブとか
ブスとか書き込まれたのに腹を立てたのが事
件の原因とのことである。
被害者の父親は当然のことながらショック
を受けて、加害者の両親の謝罪を受けること
がいまだにできないらしい。当然と言えば当
然のことなのだろう。事件からひと月が経と
うとしていた時に、父親が打った(肉筆でな
い)手記なるものがテレビで公開されたけれ
ど、私はそれに目を通す気になれなくてチャ
ンネルを替えてしまった。
さわらぬ神にたたり無し、と言うけれど、
私も小学校六年生の時にずいぶん陰湿にいじ
められたので、その時のおぞましい記憶がう
ずくような気がしないでもない。心の傷はも
とより、その時に同級生の少年によって私の
肉体に刻まれた傷跡は、いまだに手の爪の生
え際や手首に残っている。心身ともに、たと
え生傷は癒えても傷痕は消えないわけである
。そして、何事につけても忘れたいのに忘れ
られない、という私のおぞましい悪癖はあの
時から始まったのかもしれない。
思い出してしまった以上、仕方がないので
しつこく考えてみると、その時に私が自殺し
たり相手を殺さずに済んだのは、ひとを殺す
という知恵が私に無かったからに過ぎない、
と今にして思う。要するに、私は単にバカだ
ったから死なずに済んだし殺さずに済んだの
であって、もし私に昨今の子どもなみの知恵
があったらおそらくとんでもないことになっ
ていたと思う。本当に紙一重の危うさなので
ある。
また、私の少年時代にはインターネットも
携帯電話も無かった。かりに殺意を抱いた少
年がどこかにいたとしても、それを伝えるメ
ディアは無かったわけである。肉体も精神も
日々成長してゆく少年であれば、ひそかな殺
意は自分の中に留めておく限り、いつのまに
か消え去ってゆくものだと私は思う。
ところで、私をいじめ続けたその少年は小
学校を卒業した後、私と同じ中学校に進んだ
けれど、学校側の配慮で私は彼と同じクラス
にならずに済んだ。中学校の三年間は私の人
生の黄金時代であって、熱中することが多す
ぎてかつての傷痕を思い出すひまなどなかっ
た。同じ学年にいた彼がそこで何をしていた
のか私は知らない。ただ、彼がその頃解散し
たキャンディーズの名セリフをもじって、「
普通の男の子にもどりたい」とどこかに書い
ていたのは憶えている。もしかしたら、あれ
は軽い冗談ではなかったのかもしれない。
中学校を卒業すると、偶然にも私と彼は同
じ高校を受験したが、私は合格して彼は落ち
た。噂によると、彼は中卒のまま自衛隊に入
ってどこか遠くに消えてしまったそうである
。思い出してみると彼はやはりとんでもない
少年で、小学校の頃にヒットラーの「わが闘
争」を熱心に読んでいたこともあった。そし
て、ひきこもりが居座り続けそうな雰囲気だ
った彼の二階部屋には、どういうわけか手塚
治虫の「ブラック・ジャック」が全巻揃えら
れていた。あの薄暗い部屋で、青白い小学校
六年生のガキがそんな本に読み入っている情
景を想像すると吐き気がしてくるくらいだけ
ど、そんな訳の分からないガキがどうして私
を執拗に痛めつけたのか分からないし、その
理由を知りたいとも思わない。村上春樹の「
ノルウェイの森」に、病的に嘘をつく少女が
レイコさんというピアノ弾きをつけ狙って破
滅させる話が出てくるけれど、あれにいくら
か似ていたかもしれない。ただ、私の場合は
性的な侮辱を受けなかったのがせめてもの救
いだったと思う。
それにしても、いじめた側の心の傷、とい
うものは、もしかしたら絶望的に深いものな
のかもしれない。おそらく、その傷は本人に
何の希望ももたらさないだろうし、傷の大半
は無意識の中に姿を隠して本人を一生苦しめ
続けることになるはずである。他人を傷つけ
た苦しみは一生消えない、というようなこと
を村上春樹は何度も書いているけれど、確か
にそこにはなんの救いも無い。
それでも、彼にはずっと闇の中をさまよっ
ていて欲しいと私は思う。彼からも、彼の両
親からも私はついに謝罪の言葉を聞くことは
できなかった。そんな人間たちには闇という
地獄がふさわしいだろう。私が高校に入って
間もなく、近所の病院の受付で働いていた彼
の母親から、ガラス越しに「高校は楽しい?
」と突然聞かれたことがあった。もちろん、
かつて自分の息子が私をいじめていたことを
彼女は知っていた。いい気なものだ、と今に
して思う。相手の事情をおもんばかることが
できるようになっても、いまだに私は彼らを
許すことができない。だからこそ傷は傷とし
て残り続けることになる。
そんなわけで、人間が一生の間に体験する
屈辱の、少なくとも原型のようなものはあの
時代に私は体験してしまったのではないか、
という気がする。ただ、いじめられた側の救
いは、その体験を手に取って確かめることに
よって、他人が踏み込まないような透徹した
視点を獲得できるかもしれない、ということ
だと思う。つまり、人生に豊かな希望を持つ
ことはできるわけで、これはいじめた側には
絶対に不可能なことである。毒にも薬にもな
る、というのはこのことだと思う。これ以上
あの傷に負けたくない、見続けてやる、とい
う暗い意思である。
そのせいで私は時折、七転八倒の苦しみを
味わうことになったのだが、こうして三十代
も半ばを過ぎるとようやくそれに慣れてきた
ように思う。その、毒によって護られた人生
を私はこれから存分に楽しむ必要があるわけ
で、それは私以外のひとにとっても必要なこ
とかもしれない、とさえ思う。傲慢だけれど
仕方がない。
そこから振り返ってみると、他人様という
のはずいぶん狂っているものだと私は思う。
南伸坊がかつて書いていたとおり、世間は「
弱い者の横車」であるし、呉智英に言わせれ
ば「バカが正しい日本の民主主義」というこ
とになる。かつて私がいじめられていた時、
あのガキは「いいかっこして被害者づらしや
がって」と耳元でささやきながら私を殴り続
けたものだが、まったく被害者の正しい意見
というものは、時として恐ろしい暴力をふる
うことがある。それを知るひとがもう少し増
えてもよいのではないか、と私は思う。
話を最初に戻すと、この種の事件では被害
者の遺族の悲しみばかりがいつも流布される
ように私は思うけれど、ささいな理由でたま
たま加害者になってしまった子どもは、一生
ずっとその罪に苦しみ続けるのである。その
重みを公言するひとは見あたらないように思
う。あの場面ではどの子が加害者になっても
おかしくなかった、というのがあの事件の本
当の恐ろしさではないかと私は思う。
要するに、小学校六年生、つまり思春期を
迎える直前の子どもは誰でも多かれ少なかれ
「闇」を通りぬけるのだと思う。この闇は特
異点のようなもので、世間の常識や倫理とは
かけ離れたところにある。その時彼らに必要
なのは、生まれて初めて知る「内省」のきっ
かけであって、お手軽に悪口を伝えられる電
子メディアではないはずなのだ。そもそも、
インターネットや携帯電話といった電子メデ
ィアはあらゆる意味で「アダルト専用」なの
であって、学校が年端のゆかないガキに教え
こむべきものではないと私は思う。
それにしても、本当に、どうして大多数の
人間は大人になると子どもの気持ちが分から
なくなってしまうのだろう。この種の事件が
起こるたびに教師たちは「生命の尊さを教え
る必要を痛感する」とか言っているけれど、
そもそも生命の尊さなんてものは他人から教
わるものではなくて、深い孤独の中でみずか
ら悟るものではなかったか。そんなあたりま
えのことさえ、大人になると分からなくなっ
てしまうのが大方の人間であるらしい。