中平卓馬、チェット・ベイカー、ヘルダ ーリン


 横浜美術館で中平卓馬展を見た。言葉を忘 れて見入ってきた。見た後も、私は何日もぼ ーっとしていたように思う。
 彼は、病によっていちど言葉と記憶を失っ た写真家なのだけれど、見る者に言葉を忘れ させて写真の中に引きこむこと、それが中平 卓馬という写真家の特質なのかもしれない。 彼の写真は見る者に強烈なショックを与える わけではないけれど、穏やかに、いつのまに か始まる物語に引きこんでゆくような経験を 与える。
 また、中平卓馬の写真には無垢なユーモア が備わっている。彼の写真は、誰かが言った ように無人監視カメラを思わせる空っぽな映 像というわけではない。そこに中平の強烈な 意思があるのを忘れてはいけないと思う。そ して、彼の写真は明確な輪郭を備えてはいる けれど説明的でなく、いかなる意味も押しつ けてこない。見る者は彼の写真の中を自由に ただようことができる。その時、見る者は全 ての思念から解放されて、撮影時の中平同様 に無垢で自由になる。そんなことを可能にす る写真家は中平卓馬しかいないだろう。
 私はここで中平卓馬の後期、つまり「来る べき言葉のために」以降の写真について語っ ている。私は断然中平の後期作品が好きなの だ。「来るべき言葉のために」までの写真群 を見るのはもちろんこれが初めてではないの だけれど、私には彼の初期作品は、現在の彼 自身に到達するための通過点にしか見えない 。その、粒子が荒れてブレたモノクロ写真は 、写真とは何か、という中平の真摯な模索を 表していると私は思う。だから、その印象は 極めて重苦しいし、それはその時期の中平の 言葉についても言えることだと思う。
 現在の中平卓馬の写真は、もはや模索では なくて実践である。写真の力をなるべく素直 で純粋な形で示したい、その時に写真は本当 の力を発揮する、という中平の意思がそこに あるのだと私は思う。そのきっかけは、今や 伝説的に語られる彼の記憶喪失にあったわけ ではないはずだ。その病は、中平の意思を研 ぎ澄ます過酷な試練とはなったけれど、その 意思を生んだのは記憶喪失にいたる前の中平 の理性と感性だったと私は思う。病の前後の 写真を見ているとそれがよく分かる。
 ところで、横浜美術館の展示で私が最も打 たれたのは、その病の後、「新たなる凝視」 にまとめられることになるモノクロプリント 約千枚の写真群だった。それらの写真のトー ンはもはや荒れているわけではなく、ブレて もいない。日常の中で中平が凝視した事象が そこに素直に写し止められている。その一枚 一枚を取りだせば、まるで子どもが撮ったよ うな素朴な写真である。しかし、その膨大な 集積は、中平卓馬という写真家の意思と欲望 を強烈に伝えてくる。
 その写真群が指し示しているのは、それま での中平が求めてきた「自由」なのだと私は 思う。それは写真の自由、つまり意味という 足かせからの自由、そして中平自身の自由だ ろう。記憶喪失という過酷な試練を経て、そ れをようやく実現し始めたのがこの膨大な写 真群なのだ。その意味で「彼は自ら病を迎え にいったようにしか思えない」という中平の 友人たちの指摘は正しいと思う。自由への意 思と欲望、それがこの写真群のもたらす圧倒 的な感動だと私は思う。それを実現する時、 写真家には作為も技巧も必要ない。必要なの は自由への渇望、つまり撮り続ける強靱な意 思である。それを私は思い知らされた。
 それからまた歳月を経て、中平卓馬の写真 はさらに洗練されて現在にいたる。作品は全 てカラーになり、画面は全て縦位置になり、 使用するレンズは全て一〇〇ミリの中望遠レ ンズになる。それは人間が凝視した時よりも 少し画角が狭いレンズだ。つまり、中平は「 新たなる凝視」を越えて、彼自身が言うよう に「熟視」の域に到達したということなのだ ろうか。
 そんなふうに、中平卓馬の現在の写真は、 ある種の規格をまとったようにも考えられる のだが、それに反して中平の写真はより自由 になり、おおらかになり、無垢なユーモアさ えたたえていくようになった。身を削るよう に疾走していた初期の中平が求めていたもの が、意外な形でここに実現されている、と言 えるだろう。彼は写真の自由を実践している 、と言ってもよい。そして、それは彼の写真 を見る者をも解放し、自由にする。そんなこ とができる写真家は確かに中平卓馬しかいな い。
 その「自由」は言葉との格闘によってもた らされた。言葉、この場合は「意味」と言っ てよいだろうか。本来、世界の無作為な複写 でしかない写真がいやおうなしに持たされて しまう「意味」について、中平卓馬ほど真摯 に考え抜いた写真家はいない。その格闘は病 となって中平自身を通過したが、それを経て 彼は、写真から押しつけがましい意味を剥ぎ とって、写真本来の穏やかな力を現すことに 成功した。
 そして、この中平卓馬の営みは、評論家と いう言葉の中だけで生きているひとびとには 当然のことながら理解できない。彼らは写真 と言葉の相剋を体験していないから当然のこ となのだ。だから、彼らは中平の写真の前で は戸惑うしかない。この中平の無意識の魔術 が、私には生半可な言葉をあやつる者への彼 からの強烈な仕返しに思えてならない。
 中平の営みは、写真の、言葉へのひそやか な勝利なのだと思う。写真と言葉の相剋を生 きる者、そして写真を素直に見る観客にだけ 、彼の営みが正しく理解されるのではないだ ろうか。我々だけが中平の「自由」を享受で きるのである。何という幸せだろうか。その 意味で、中平の写真は極限であり聖域なのか もしれない。
 観客としての私にとって、中平卓馬の写真 は「自由」であるし、写真家としての私にと って、それは「希望」なのである。


 私が初めて中平さんにお会いしたのは、森 山大道先生がかつて渋谷に持っていた小ギャ ラリー「ルーム801(後にFOTO DA IDOと改称)」だった。森山先生の展示を 見に行ったら、そこに中平さんがおられたの である。もう十数年前の話である。  中平さんと接したひと全てが語る、まるで 可愛らしいほどの素敵な笑顔や、煙草のヤニ に染まった右手人指し指の先を私も目にした 。朴訥な話しぶり、スペイン語の文法の話… 森山先生と中平さんにはさまれて、中平さん と初対面の私もとても穏やかな気持ちになっ た。
 中平さんが席を外したすきに、私は森山先 生に「初めて中平さんにお会いしたんですけ ど、なんだかチェット・ベイカーって感じで すね」と言った。すると森山先生は、あのく ぐもった魅力的な声で「むふふふふ」と笑っ ていた。失礼なことを言ったわけではないと 私は思うけれど…
 チェット・ベイカーは、ちょうどその頃亡 くなったトランペッターで歌手です。顔の造 りと言い、時折巻いていたバンダナと言い、 体格と言い、晩年のチェットは近年の中平さ んによく似ていると私は思う。うそだと思っ たらレコード屋でチェットの晩年のポートレ ートを見て下さい。
 チェット・ベイカーはドラッグで倒れたこ とがあるひとなのだけれど、彼の音楽も私は 再起後が断然好きなのです。私のお気に入り アルバムは、デューク・ジョーダンと共演し た「ノー プロブレム」、ポール・ブレイと の「ダイアン」、アーチー・シェップとの「 イン メモリー オブ」です。泣かせます。 そして優しい。歌も良いけども、あんなふう にトランペットを吹いてみたい、と私に思わ せてくれる。


 中平さんは写真を始める前、詩人になりた いと考えていたことがあったそうだけれど、 古今東西の詩人の中で、中平さんを思わせる のは十八世紀から十九世紀にかけて生きたド イツの詩人ヘルダーリンだと私は思う。  私はドイツ語が全く分からないので詳しい ことは知らないけれど、詩人の息づかいを強 く感じさせるその作品群、人生の半ばで精神 に障害を負ってしまったこと、それでも生涯 にわたって詩人であり続けたこと、確かにヘ ルダーリンの生涯は、中平さんにどこかしら 似ていると私は思う。
 時代の風を真摯に受け止めて、詩人はどう 在るべきか、という問いをヘルダーリンほど 真剣に考え抜いた詩人はあの時代には他にい なかっただろうし、彼の前期の詩はその成果 だろうと私は思う。それは確かに天上的に美 しくて激しい。
 その激しい営みの果てに精神を病んでしま ったヘルダーリンは、知人たちのはからいで チュービンゲンの指物師ツィンマーの自宅の 一室、通称ヘルダーリンの塔に住みついて、 それから死を迎えるまでの三十六年を穏やか に過ごした。
 その間、ツィンマー一家の手厚い看護を受 けながらヘルダーリンが書いた短い詩は、ま るで童画のようにも捉えられる穏やかさに満 ちている。そこには、まさに素朴な詩人に舞 い戻った彼の自由と解放が実現されていると 言えるだろう。
 その詩にはよく意味の通らない言い回しが 散見されるけれど、それをヘルダーリンの病 によるものと一概に決めつけるべきではない 、と私は思う。また、そこにしばしば現れる 光と影のうつろいの描写は、彼の精神の不安 を表しているようにも感じられる。精神に障 害を負いながらも、彼は生涯にわたって詩人 であることに自覚的であったのではないだろ うか。
 ヘルダーリンは現在「最も純粋な詩人」と 呼ばれているけれど、彼の墓碑銘となった前 期の詩から引用してみる。

 極みなく聖なる嵐のなかにて、わが牢獄の
 壁は崩れ落ちよ!
 よりうるわしく、より自由にわが精神は沸
 き立て!
 未知なる国に向かって!

そして、精神を病んだ後期の詩の中から私 が特に好きな詩句を引用してみる。私は、ヘ ルダーリンの場合も後期作品が断然好きなの だ。

 だが 水はしずかに流れくだり
 ひねもすおだやかにせせらぎが聞こえる
 しかし あたりの村々は
 安らかに憩い 午後の時を黙し続ける

ヘルダーリンが生きた時代は写真が発明さ れる直前だったので、彼の肖像写真は残って いない。しかし、彼を描いたスケッチはいく つか残っている。
 ヘルダーリンの晩年を描いたスケッチは、 近年の中平さんに似ているような気がして仕 方がない。



[ BACK TO MENU ]