ひさしぶりに書店の詩のコーナーの前を歩
いていたら、現代詩手帖の三月号でロートレ
アモンの特集をしているのを見つけた。
筆名ロートレアモン伯爵ことイジドール・
デュカス。一八七〇年十一月二十四日、二十
四歳の若さで無名のまま亡くなった詩人。「
マルドロールの歌」という圧倒的な散文詩を
筆名で完成させ、箴言集「ポエジー」を本名
で出版した男。南米ウルグアイの首都モンテ
ヴィデオでフランス人の子に生まれ、やがて
ひとりで父の故郷、ピレネー山脈のふもとの
町に渡って最後はパリで死んだ男。フランス
語とスペイン語のバイリンガルで育った母な
しのひとりっ子。死後五十年を経てようやく
広く知られ、死後百年以上経ってようやく肖
像写真が発見された男… その作品の毒とあ
いまって、限りない誤解のかなたに追いやら
れていた男。そして、狂暴さと知性が極限ま
で研ぎ澄まされた文章から、孤独な感傷の叫
びが聞こえてくる「マルドロールの歌」、読
者のほこ先をかわすような「ポエジー」…こ
の男とその作品の謎について書きはじめると
きりがない。
ロートレアモンと常に比較される、ほぼ同
時代の天才詩人ランボーの魔力にも私はとり
憑かれていたことがあって、長い時間をかけ
て私はランボー論を書いたことがある。その
あげく、ランボーの故郷であるフランス北部
の町、シャルルヴィル・メジエールにまで私
はひとり旅をして写真を撮ってくることにな
った。まるで彼にひきよせられ、試されるよ
うに。
その間、もちろんロートレアモンのことを
忘れたわけではなかったのだが、ランボーに
比べるとロートレアモンは書きにくいのだ。
ロートレアモン/デュカス本人についての資
料があまりにも少ない上に、彼の作品の毒が
ランボー以上に不定形で強烈なので、それに
浮かされて自分の妄想を増幅させるだけのこ
とになりやすい。世間にはおびただしい数の
ロートレアモン論があるが、彼の毒に染まら
ずに強靱な論理を展開するのは、モーリス・
ブランショの「ロートレアモンの経験」だけ
ではないかという気がする。ブランショの文
章についてはまたいつか書くことになると思
うけれど、これほど美しく明晰な文章を私は
他に知らない。
いずれにせよ、ブランショの「ロートレア
モンの経験」のおかげで、私は今までロート
レアモンにかこつけて自分の妄想を書きつづ
るという愚は冒さずに済んできた。村上龍が
書いていたように、ロートレアモンにせよラ
ンボーにせよ、彼らの詩はあまりにも正確な
ので、弱い頭脳がそれに冒されると身勝手な
妄想が溢れ出るしかない。それがこの詩人の
毒である。
それでも、私がランボー論を書いてから五
年が過ぎ、彼の故郷を訪れてから三年が過ぎ
た。そして、書店でひさしぶりにロートレア
モンの名を見たせいで、そろそろ彼について
書かなければ片手落ちかなという気がしてい
る。「マルドロールの歌」の冒頭でロートレ
アモンが書いているように、この毒ある果実
を中毒せずに味わう能力が私にもようやく備
わりつつあるように思う。
そんなわけで、私は栗田勇訳の「マルドロ
ールの歌」を再び読み始めた。「マルドロー
ルの歌」の全訳は現在六種類もあるが、私が
手にするのはいつも栗田勇訳である。初めて
読んだのは渡辺広士訳だったが、いまひとつ
読みづらくてすぐに栗田勇訳に代えた。日本
で初めての全訳が栗田勇訳で、それ以後の訳
ほど訳者のロートレアモン/デュカスに関す
る知識は豊富になり正確になってゆくのだが
、不思議なことに栗田勇訳以上に読みやすく
、また作者の叫びを正確に伝えてくる訳は無
いような気がする。栗田勇以前の抄訳は訳者
の感傷に流れすぎているように思えるし、最
近の訳は正確ではあっても文章の流れが悪い
ように感じられる。「マルドロールの歌」は
文学的に訳しすぎても即物的に訳しすぎても
いけないように思う。これはランボー以上に
、実にきわどいのだ。
「マルドロールの歌」は雑多な文章の引用
を含んでいることが最近の研究で明らかにな
ってきている。その無断引用が見事な詩の言
葉になっているのがこの散文詩の魅力のひと
つだ。その中に、「犬が主人の後をはしりな
がら描き出す曲線の記憶のように美しい」と
いう形容がある。私の大好きな文章だ。「記
憶」はフランス語で「メモワール」だが、こ
の単語には「論文」という意味もある。最近
の研究で、デュカスの時代に実際にそんな論
文が発表されていたことが判った。彼がその
論文を参照したのは明らかである。そこで、
最近の訳では「記憶」を「論文」と訳しかえ
ているものが多いようだ。
「論文」の方が確かに正確な訳ではあるの
だろうが、私にしてみれば、そんな訳文の後
ろにロートレアモンの高笑いが聞こえるよう
な気がしてならないのだ。現実の世界で「論
文」として機能していた言葉が、ロートレア
モンによって「マルドロールの歌」の中に投
げ込まれると「記憶」という意味をあわせ持
つようになる。それによって、想像力の世界
がとてつもない豊かさをはらむことになる。
彼のペンによって、無味乾燥な言葉が磨き抜
かれた宝石のように多面的な意味をとりもど
す。ランボーと全く異質な言葉の天才の魔術
がここに現れている。
これを「論文」と訳してしまうとロートレ
アモンの感傷を含んだ叫びが聞き取れない。
「記憶」と訳すのが正解だろう。それがもう
ひとつの意味を隠し持っていることは、後で
読者ひとりひとりが気づくべきことだと思う
。栗田勇が訳した時代には、その論文の存在
が知られていなかったために、彼の訳では当
然「記憶」となっている。
どうやら、伝記的・文献的な知識だけでは
ロートレアモン/デュカスを読むことはでき
ないようなのだ。栗田勇が書いていたように
、「マルドロールの歌」は訳すことより、読
むことより、生きることを強要する書物なの
だ。これを読むには、自らの妄想や感傷に溺
れることなく、しかしそれらを隠すことなく
見つめるしなやかで若々しい魂がなによりも
必要なように思う。その時、百数十年の時と
誤解の海を越えて、ロートレアモン/デュカ
スが読み手ひとりひとりの前に現れるような
気がする。
そのせいかどうか分からないが、栗田勇は
最近優勢な頭でっかちのロートレアモン研究
には深入りしなかったようである。彼の思考
はその後、中世日本に向かっていった。そこ
にロートレアモンと共通する何物を見つけた
のか、私にはまだ分からない。
それでも、デュカスの肖像写真を発見した
ジャック・ルフレールたちが明らかにしてく
るイジドール・デュカスの伝記的事実を読ん
でいくのは面白い。それは、はるか彼方から
辛うじて送られてくる信号を解読する作業に
も似て、「マルドロールの歌」の裏側に今も
うごめく彼のざわめきを感じることができる
からだ。
若々しい魂とともに「マルドロールの歌」
を読むこと。デュカスの伝記的事実を丹念に
読み解いてゆくこと。このふたつの営みが「
マルドロールの歌」、そしてロートレアモン
/デュカスの世界に加わるために必要なこと
ではないかと私は思う。主義主張や学術用語
に毒された、頭でっかちなロートレアモン研
究に深入りしてはならないのだ。
最後に、デュカスが本名で発表した「ポエ
ジー」についての私見を書いておくことにす
る。「ポエジー」はタイトルと裏腹に詩集で
はない。パスカルその他の言葉をひっくり返
してパロディーにしていく奇怪な箴言集であ
る。そのほこ先はついに自作の「マルドロー
ルの歌」にも及ぶ。
この書物は、ロートレアモン伯爵という筆
名で印刷された「マルドロールの歌」の発表
が不可能になった後に出版された。その数か
月後、パリ・コンミュンの混乱の中で彼は亡
くなっている。それはイジドール・デュカス
という本名で発表された最初で最後の作品に
なってしまった。その扉には多くの友人たち
の名を掲げた献辞があり、「マルドロールの
歌」を否認するような彼の宣言が記されてい
る。
いったい、この奇怪な書物は何なのか、そ
の真意は誰にも分からない。「ポエジー」を
生真面目に受け取れば、読者はロートレアモ
ン/デュカスの仕組んだ謎の中をさまようし
かない。
私には「ポエジー」の真意は冒頭の献辞と
「マルドロールの歌」の否認宣言にあるので
はないかという気がする。彼は「ポエジー」
を本名で出し、それがロートレアモン伯爵と
同一人物であることを広告に載せることによ
って、「マルドロールの歌」の著者がイジド
ール・デュカスであることをはっきりさせて
おきたかったのではないだろうか。彼は自殺
したわけではないが、自分の生命がそう長く
ないことを予感していたのかもしれない。
「マルドロールの歌」はあまりの過激さの
ために、本名で発表することができなかった
。しかし、デュカスの生前にそれは配本され
ることはなかったが印刷だけは完了した。だ
から、「マルドロールの歌」は後世には残る
だろう。しかし、このままではロートレアモ
ン伯爵が何者なのか全くわけが分からなくな
ってしまう。それをくい止めるために、デュ
カスには本名で何かを出版しておく必要があ
った。出版さえされればそれは国立図書館に
残る。そこにたくさんの友人たちへの献辞を
記しておけば、イジドール・デュカスという
人物について友人たちを通して何らかの情報
が後世に伝わるかもしれない。そんなデュカ
スの必死の思いを私は想像する。実際、デュ
カスの死後五十年以上を経て、その友人たち
の痕跡からデュカスに関する貴重な情報が明
らかになってきている。「ポエジー」の冒頭
に、「私は〈回想録〉を残す気はない」とい
う文章があるが、おそらくこれはデュカスの
反語だろうと私は思う。
「マルドロールの歌」がデュカスの生前に
は世に受け入れられないことを悟った時、彼
は次なる謎をかけようとしたのではないだろ
うか。また、自分の詩才は「マルドロールの
歌」で表現されつくしたこともデュカスは知
っていただろう。もし、彼がその詩才にいま
だ余地があると思っていたのなら、「ポエジ
ー」のような箴言集を出版するはずがない。
彼は次の詩集を出していただろう。つまり、
「マルドロールの歌」が完成した時、彼はす
でに詩人から批評家に変貌していたのだ。こ
の時期に残された彼の手紙を読んでもそれを
感じることができる。
あるいは、「マルドロールの歌」を本歌と
すると、「ポエジー」はその反歌なのかもし
れない。手許の古語辞典を引いてみると、「
反歌」とは「長歌の終わりに詠み添える短歌
。長歌の大意をまとめたり、あるいはその意
を補ったりする。「万葉集」に例が多い。」
とある。「ポエジー」が現在、「マルドロー
ルの歌」の謎を解くためにだけ読まれている
ことを考えれば、これはそれほど的外れな見
方ではないのかもしれない。ロートレアモン
/デュカスは万葉の歌人のような律儀さと必
死の優雅さをもって、見事な本歌と反歌を残
したのだろうか。
私のロートレアモン/デュカスへの旅は、 ようやく今始まったばかりなのだろう。これ から時間をかけて「マルドロールの歌」を再 読することになるのだけれど、私の中でそれ が形をとりはじめた時、さらに時間をかけて この文章を書き直してみたいと思う。それは 、かつてランボー論を書いた時と同じような 変貌を私にもたらすだろう。今はまず、時の かなたに生き続けているイジドール・デュカ スへ連帯のあいさつを贈っておくことにした い。それはまさに、孤独ゆえの連帯、なので ある。