つまらない名誉

木村伊兵衛賞の受賞者が今年も複数だった 。賞金は百万円だが、複数受賞の場合はそれ を分け合うことになっているそうである。こ れには驚いた。私はてっきり、複数受賞の場 合は各人にそれぞれ百万円ずつ贈られるもの とばかり思っていた。今年は受賞者が二人だ から一人五十万円ということになるのだろう が、以前、三人受賞だった時はどう分けたの だろうか。百万円は三で割り切れない。謎で ある。
 各人に百万円ずつ贈られる複数受賞ならば 何も言うことはないのだが、賞金が減らされ るということを受賞者たちは侮辱や屈辱と感 じてはいないらしい。これを私はとても不思 議に思う。
 二人受賞ならば、単独受賞に比べてあなた の仕事や才能は半分の値打ちしかありません よ、と授賞側が認定したのと同じではないか 。そのしるしとして賞金は半分しかあげませ ん、というわけである。受賞者にとって、こ れ以上あからさまな侮辱は無いだろうと私は 思うのだけど、受賞者たちの言葉にそんな気 配は全く感じられない。平然と受賞を感謝し ている。
 この無神経さ、誇りの無さが私には全く信 じられない。これが、本当に写真家を名乗る 新人の態度なのだろうか。賞金が減らされる のなら受賞を蹴とばす新人がひとりくらいは いてもいいのではないか?
 木村伊兵衛賞がそれほどうま味のある賞だ とは私には思えないし、新人写真家というの はもともと貧乏なものなのだから、五十万円 やそこらのお金が入らなくとも別に飢え死に するわけではないだろう。そんなはした金や つまらない名誉など最初から無かったものだ と思って、今までどおり写真を撮り続ければ よいだろう。はした金はすぐに無くなってし まうけれど、つまらない名誉は本人が忘れた くとも一生ついてまわるのである。その煩わ しさを少しは考えてみてもよいと思う。
 あるいは、賞なんてものに重みがあると考 えること自体が間違っているのかもしれない 。芥川賞を受けた尾辻克彦(赤瀬川原平)さ んは、新人賞というものはその業界の新製品 発表会のようなものだ、と言っていたけれど 、だったらあまり深く考えないで賞は何でも もらっておいて、とりあえず皆様のご機嫌を とっておくというのも無難な態度なのかもし れない。(註、もちろん尾辻克彦さんはそん なことはしていない)。
 しかしそれでは面白くない。まるで、新人 賞が業界内での点数稼ぎ、権威づけへの第一 歩のようである。学者の世界では、専門誌に 論文がひとつ載ると何点、それが何点たまる と大学内や学会内で昇格の資格あり、という ことになっているらしいが、そんな暗黙のシ ステムを私は思い出してしまう。学会がそん なふうに硬直してくると、学者は無難な研究 を数多くこなして点数を稼ぐようになる。そ んな学者に大発見などできるわけはなく、そ こから無縁なところで研究をしていた田中耕 一さんがノーベル賞を受けた理由のひとつが こんなところにもあるのだと私は思う。
 どんな世界であっても、後に大きな仕事を することになる新人が初めて賞を受ける時は スキャンダルになる。賛否両論が飛びかって ひと騒ぎになる。もちろん、スキャンダルと 共に受賞した新人が必ず大成するとは限らな いが、新人賞というものはすべからくスキャ ンダルであるべきだ、と私は思う。かつて木 村伊兵衛賞の選考委員をしていた写真家が、 「賞なんてものはその時一番勢いがあるひと にあげちゃえばいいんですよ」と語るのを私 は聞いたことがあるが、その発言もそこにつ ながるものだと信じたい。
 もっとも、それほどの才能が毎年出てくる わけはないのだから、それに値しない新人し か見当たらない場合には受賞者無しにしてし まうか、賞を業界の新製品発表会と割り切っ て、にこやかに事を運べばよいのかもしれな い。受賞者たちが後に大成するかどうかは賞 を与える側の知ったことではないのである。 そこまでレベルを落とせば、賞に値する新人 などいくらでもいる。繰り返しになるが、複 数受賞の候補に挙げられるようではもともと たいした才能ではないのである。ならば、賞 金が分割される複数受賞など蹴とばしてしま うのは、凡庸な新人がスキャンダルをひきお こす最後の手段なのかもしれない。
 昭和初年、石川淳が「普賢」で創設後間も ない芥川賞を受けた時、選考委員のひとりは 、「これは石川の名誉ではなく芥川賞の名誉 である」と言ったそうである。私は石川淳の 作品や生き方が好きだけれど、写真の新人に そんな高級なことを期待する方が間違ってい るのかもしれない。
 その芥川賞も村上春樹や吉本ばななにあげ そこなってから、本当にただの新製品発表会 になってしまったし、そもそも文学にせよ写 真にせよ、世間で一番有名な賞が新人賞、と いう世界は根本的にどこか狂っているのでは ないかと私は思う。
 最後に私自身の態度を表明しておくと、私 ごときに賞金つきの賞をくれる酔狂な団体が あるとは思えないし、私はそれほどの活動を しているわけでもない。そして現在のところ 、私が好きな写真家の名前を冠した賞はひと つも無い。好きでもない写真家の名前が冠さ れている賞を受けたとしても心底嬉しいとは 思えないだろう。
 もし、安井仲治賞とか鈴木八郎賞という賞 ができたら、私は賞金無しでもいいからぜひ 欲しいと思う。(植田正治賞というのは近々 できるような気がする。)尊敬する写真家の 名前が冠された賞を受けるのが本当の喜びだ と私は思う。だからこそ、新人賞の賞金分割 なんてせこいことは絶対にしてほしくないと 思うのである。二人受賞ならば、翌年の授賞 をあらかじめ中止してでも賞金はきちんと払 うべきだと思う。それが賞というものの重み と責任ではないだろうか。



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