はるかな島マダガスカル

最近、ふとしたきっかけでマダガスカルに ついてあれこれ調べている。
 そこはインド洋の西の端、アフリカ大陸の すぐとなりに浮かぶ熱帯の島国で、島として は世界第四位の広さがある。けれども日本に はあまりなじみがなくて、飛行機の直行便も 無い。成田からシンガポールに飛んで、そこ から首都アンタナナリヴ行きに乗り換えるこ とになる。日本から合計十七時間もかかる南 半球のはるかな国である。
 きっかけは、NHKの「地球ラジオ」とい う番組だった。マダガスカルで助産婦をして いる日本人シスターの電話インタヴューを私 はたまたまカーラジオで聞いたのだった。彼 女は、どうやら曽野綾子の小説のモデルにも なったひとらしいのだが、マダガスカルのひ とは相手に負担にならないように実に細やか に気を遣うひとびとで、私はもうこの国に骨 を埋めて何の悔いも無い、と彼女は語ってい たのだった。
 その言葉は不思議なほど深く私の気持ちに 残った。異国のひとびとを、そんなふうに称 賛する声を私は聞いたことがなかったのだ。 ただ、彼女は助産婦として、この国にはいま だに先天性梅毒が多いこと、乳児死亡率が高 くて日本の援助が不可欠であることをも訴え ていた。
 この放送を聞いて以来、私はマダガスカル について調べ始めた。手始めに手許の地図帳 を見ると、なんとこの国の公用語はマダガス カル語の他にフランス語だ。十九世紀の終わ りから第二次世界大戦の直後まで、この国は フランスの植民地だったのだ。私は、いつか フランス語圏のアフリカに行ってみたいと思 っているのだが、この国はそんな私のひとつ めの条件をクリアしていた。
 そして、書店で「地球の歩き方」シリーズ を探してみると、ちゃんとマダガスカルの巻 は出版されていた。そこに載せられている写 真を見ると、なんだかとても懐かしく見えて しまうのが不思議だった。マダガスカルはア フリカの一部のはずなのに、ブラックアフリ カの強烈さ(もちろんそれはそれで魅力的な のだが)が感じられず、棚田が並ぶ農村風景 は日本を含むアジアを思わせるし、石造りの 建物が並ぶ首都アンタナナリヴにはフランス の田舎を思わせる雰囲気が残っている。もち ろん、この国は前述のシスターの話のとおり 、決して経済的には裕福ではないのだが、町 の雰囲気に不思議に汚らしさや凶悪さが感じ られない。ろくに調べもしないうちから私は この国が気に入ってしまって、さっそく「地 球の歩き方」マダガスカル篇を買って読み始 めた。
 それによると、この国はアフリカ大陸のす ぐとなりにありながら、住んでいるのは大昔 に東南アジアから渡ってきたアジア系のひと が大半を占めるのだそうだ。だから、人種的 にも文化的にもアフリカの影響を受けながら もアジアの香りを色濃く残しているとのこと である。国民の意識も、アフリカの一員とい うよりも、インド洋国家の一員という意識の 方が強いらしい。主食は米(粒が短いジャポ ニカ種より粒が長いインディカ種が主流)で 、えんえんと続く郊外の棚田風景もこれで納 得できる。
 また、何万年も昔にアフリカ大陸から切り 離されて孤立していたせいで、この国にはめ ずらしい植物や動物がたくさんいるらしい。 バオバブの木や食虫植物や、キツネザルやカ メレオンなど、動物はもとより植物が好きな 私にはうってつけのようである。しかし、近 年の人口増加や、無計画な焼き畑農業のせい で森林が激減し、彼らの生存が脅かされてい ることも分かった。これは私見だが、急激な 人口の増加に農業の近代化が追いつかないの だろう。だから、生産効率の悪い焼き畑農業 が横行して森林が破壊されることになる。そ んな面から見れば、この国は確かに貧しい途 上国のようである。人口の抑制と農業の近代 化がこの国に最も必要なようである。これは 国家が変わってゆくことをも意味しているの だろう。
 この国は一応キリスト教の国なのだが、古 くから伝わる伝統宗教が大きな影響力を持っ ているとのことである。それによると、彼ら は亡くなった先祖をとても大切に祀る。自分 が親になることは先祖になるという意味で喜 ばしいことなのだそうだ。そして、我々が考 えるように、死者は彼岸に行くわけではなく 、生きている家族と共にずっと暮らし続ける と彼らは考えているらしい。つまり、死者は 我々から遠い世界に去っていくのではなくて 、この世界と死者が住む世界は断絶すること なくつながっていると考えているそうだ。
 マダガスカル大使だった山口洋一というひ とが書いた「マダガスカル アフリカに一番 近いアジアの国」という本を読むと、この国 のひとびとがのんびり穏やかに暮らしている のはこの信仰のおかげだと分かる。つまり、 死によって人生は終わるわけではないのだか ら、ひとと争ったりがつがつ急いで生きる必 要は無い。たとえば、首都の街路で交通渋滞 が起きても、皆のんびり待ち続ける様子は外 国人には理解しがたいのだろうが、それもこ の哲学のためらしい。もしかしたら、これは とても素晴らしい生き方なのかもしれない。 タイム イズ ノー マネー、時は金に非ず 、とこの本にあった。
 そして、ひとびとの相互扶助のしきたりが あって、貨幣経済で見ると貧しくとも、物々 交換や自給自足の経済が強く残っているので 、貧しさゆえに自ら死を選ぶひとは極めて少 ないのだそうだ。自殺率は先進国に比べると 格段に低く、その理由のトップは恋わずらい とのことである。自殺理由のトップに恋わず らいがくる国なんて、不謹慎かもしれないけ れど私にはとても素敵に思えてしまう。しか も、彼らの信仰によれば、自ら命を絶っても その魂は恋人と共に生き続けるのである。
 死に対してこんなにおおらかな哲学がある のが私には信じられなかった。もしかしたら 、昔の日本人もそうだったのかもしれないけ れど、我々の死に対する虚ろな思いに比べて それは何と豊かなことだろうか。我々は、死 の恐れと死に伴う苦痛の恐れを混同している のではないだろうか。そのうえ、死んだら自 分は何も残らない、と勝手に思いこんでがつ がつと生き急ぐ。要するに、努力と生き急ぐ ことを混同したせいで、我々はずいぶんと貧 相になってしまったように思う。私としては 、ぜひマダガスカルに飛んでその哲学を肌で 感じてみたいところだ。
 日本人の祖先の一部は、東南アジアから渡 ってきたひとびとだと言われているけれど、 そうであれば、日本人とマダガスカル人のル ーツは重なり合う部分があることになる。環 境や歴史が大きく異なるのに、何かにつけて 私がこの国に懐かしさを感じる理由はきっと そこにあるのだろう。
 ところで、「地球の歩き方」マダガスカル 篇を入手した頃から、私はマダガスカル音楽 のCDを探し始めた。日本語の解説が付いた CDを私は三枚入手したのだが、これがまた 不思議に懐かしくて優しい。
 その中で、ヴァリハという竹筒の琴の独奏 と歌が収められた、ジュスタン・ヴァリとい う音楽家のCD(キングレコード、ワールド ミュージックライブラリー三四)が私の一番 のお気に入りになった。この、ヴァリハとい う楽器も古い時代に東南アジアから伝えられ たものがもとになっているとのことだが、日 本の琴も、その起源は東南アジアにあるらし い。だからこの音楽がこんなに懐かしく聞こ えるのだろうが、ここには鬱陶しい湿気が感 じられない。この音楽は情緒や観念を伝える のではなくて、樹々をわたる南の風のような 爽やかさと素直さを聴かせてくれる。
 もうひとつは、ソディナという竹笛を奏で るラコト・フラーという音楽家のバンドの演 奏を収めたCDだ。フランスのアリオンとい うレーベルから出ていて、日本語の解説が付 されたうえタワーレコードから発売されてい る。この演奏ではソディナ、ヴァリハ、カブ ス(ギターの一種)、歌の他にパーカッショ ンが加わっているせいで、ジュスタン・ヴァ リの独奏よりもアフリカの影響を色濃く感じ ることができる。バンドの編成が大きいので 、ひとびとの息づかいのようなものをより強 く感じさせる。
 最後に、ビクターから出ているラコト・フ ラーも加わったソディナ、ヴァリハ、カブス に歌が入ったスタジオセッションは、前述の 二枚に比べるといくぶん演奏に固さが感じら れるけれど、CDの解説はこれが一番充実し ていて読み応えがある。
 この三枚のCDを私はここのところずっと 聴きこんでいるのだけれど、やはりこういう 音楽はライヴが一番素晴らしいのだろうと思 う。マダガスカルの、おそらくは首都アンタ ナナリヴのどこかで、特産のバニラの実を漬 けこんだラム酒をなめながら、こんな音楽に 身をゆだねてみたいと思う。
 インド風のごった煮のクレオール料理、ろ くに舗装されていない道、熱帯の高原を渡る 風、広大な空と大地、紺碧の海、めずらしい 植物や動物たち、ひとびとのまなざし、世界 のどこにでもいるドロボウ、そして温泉もあ る…
 私がこの国を訪れることができたら、素晴 らしい写真を山ほど撮ってこれることは言う までもない。ぴかぴかのカメラは盗まれそう なので、古ぼけたOM−1Nが再び活躍する ことになる。作品としての写真はもちろん、 マクロレンズを持ってゆけば植物の生態写真 だって撮れる。つたないフランス語を頼りに ひとりでさまようこともできる。きっと一週 間程度の旅では物足りなくなるだろう。誰か 、私をマダガスカルにしばらく滞在させてく れるひとはいないだろうか。私はこれでも農 学修士の学位を持っているのだ。専攻は植物 栄養学(肥料学)である。それが少しは役に 立つかもしれない。
 いずれにせよ、そのうちひまをみつけて東 京のマダガスカル大使館に調べ物をしに行こ うと思う。急がずあわてず、マダガスカルの 哲学にならって、ムロムロ、ムロムロ(のん びり、のんびり)。



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