昨年の夏、近所のホームセンターで「PR
OVOKE(プロヴォーク)」のロゴが大き
く入った帽子を見つけた。そのロゴの上に「
RACING TEAM FACTORY」
とあるので、これは別に六十年代の写真同人
誌PROVOKEを意識したものではなかっ
た。それでも私はなんだか嬉しくなってしま
ってその帽子を買った。夏の強烈な陽射しを
さえぎるにはちょうど良いし、帽子のひさし
はカメラをかまえた時に絶好のフードにもな
る。陽射しの強い日にこの帽子をかぶり、カ
メラを持ってうろうろしている男を見かけた
ら私だと思ってもらってよいだろう。僣越な
がら、私はこれでもPROVOKEの末裔を
自覚しているのだ。
また、筒井康隆の「乱調文学大辞典」の「
同人雑誌」の項目は「雑誌狂が乱発する多く
の雑誌。同じ人間の出す雑誌なので、こう総
称する。」とある。同人誌というものの解説
として最も的確であると私は思う。話はどん
どんずれていくけれど、この本は本当に面白
い。そして的確である。巻末付録として掲載
されている「あなたも流行作家になれる」も
愛読する価値がある。小説作法をオナニーと
ウンコの排泄に例えて解説するところなど筒
井康隆の面目躍如である。この本は文学のア
ナーキーな広がりを見事に解説するとともに
、そこからあまりにも隔たってしまった日本
の文壇なる業界を茶化してせせら笑っている
のだ。
ところで、英和辞典でPROVOKEを引
いてみると、・怒らせる、じらす、・…の感
情を刺激して…させる、・(怒り、笑いなど
を)起こさせる、(事件を)引き起こす、と
いう解説が載せられている。写真同人誌PR
OVOKEにこめられた「挑発」という格好
良い意味合いはあまりない動詞らしい。どち
らかと言えばうざったい言葉である。
つまり、この言葉はその命名者の中平卓馬
をすでに裏切っているような印象がある。名
は体を表すわけで、要するにPROVOKE
という同人誌が起こした運動は過大評価され
ているのではないか、と私はずっと感じてき
た。
ブレボケが、写真と言葉の関係が、それが
一体何だというのだろう。何をいまさら言っ
ていたのだ、やっていたのだと私は思う。そ
こに本質的な、あるいは新しい問題などなに
ひとつ無い。六十年代という時代の病気に合
致していたのがあのスタイルだったというだ
けではないのか。その証拠に、現在PROV
OKEを「古典」や「スタンダード」とみな
す者はひとりとしていない。例えば、六十年
代の先駆けに登場した「革命児」オーネット
・コールマンの音楽は今や「古典」であり「
スタンダード」である。それは後の音楽に豊
かな可能性をもたらし、たくさんの才能を育
てたのである。すなわちそれが登場した時は
真に新しく本質的で、かつ伝統に根ざした「
革新」であったということだ。
話を戻せば、PROVOKEの運動がナン
センスであったことは当事者全員に最初から
分かっていたはずだと私は思っている。そこ
から目をそむけて甘い夢をみ続けるとこんな
蟻地獄に陥ってしまうことになる。自分に嘘
をつき始めるともう止めることができない。
それを主導した者は後に自己批判をくり返す
しかなくなってしまうし、それらを評価して
くれるのは後世のマニアックな青二才だけだ
。その上、この運動の体質は実に旧くて湿っ
ていたように私には思える。仮に同時代に写
真家として生きていたら、私はPROVOK
Eを意識しつつも近づく気にはなれなかった
だろうという気がする。
PROVOKEに限ったことではないのだ
が、写真はひとりで制作し、発表できる数少
ないメディアなのに、どうしてみんなこうも
群れたがるのだろうか。弱い犬ほどよく群れ
るしよく吠える。この種のグループを「一匹
狼の集団」と形容したひともいたけれど、そ
んな言いぐさなど噴飯ものと言うしかない。
要するに甘えているだけだ。
私はPROVOKEという雑誌の現物を見
たことがないが、十年くらい前に出た雑誌「
デジャ・ヴュ」のPROVOKE特集号は持
っている。そこには同人たちや当時を知る写
真家のインタヴューが載せられている。その
中で一番面白く、また的確と思えるのが、同
人たちに厳しい批判を加え、PROVOKE
を全面的に否定している横須賀功光の発言で
ある。
つまり、PROVOKEの運動も結局「写
真史」の中に組み込まれてしまって、彼らの
残した写真は、彼ら自身が最も嫌悪した「作
品」として記憶されてゆく。彼らがあがけば
あがくほど、逆に彼らの写真は権威と経済価
値を帯びた「作品」として流通していくこと
になる。結局、PROVOKEという運動自
体が権威と経済価値に色目を使っていたよう
にさえ私には思える。ちょうど、アンチジャ
イアンツがジャイアンツを支えているように
、である。メジャーとマイナーは隠微な形で
結びついているのだ。だから、そのスローガ
ンとは裏腹に、彼らの写真は決して「思想の
ための挑発的資料」とはならなかった。実に
皮肉なことに、PROVOKEの写真群は「
作品」として今も強烈な魅力がある。
「ああいう時代だから意味を持ったので、
それほどすごいことを言っているわけでもな
い」という内藤正敏の発言も的確だと思う。
繰り返しになるが、六十年代(それは私が生
まれた時代でもある)とは見当違いの夢に酔
っていられる甘ったれた時代でもあったのか
もしれない。
しかし、見当違いの夢は二日酔いのような
たちの悪い後遺症を残すのである。我々はい
まだにその悪夢から醒めきっていないのでは
ないかと私は思う。
その最大の後遺症は「写真作家」という勘
違いだと思う。PROVOKE以降、カメラ
を持つ人間で写真作家への憧れを持たなかっ
た者はいないだろう。もちろん私を含めてで
ある。それは写真を撮る人間の最大の恥部で
はないだろうか?
撮りたい写真だけを撮って食べ、それを美
術品のような作品として経済価値をもって世
間に流通させ、ついでにマスコミで名前を売
ってしまう。そんなメジャーな芸術家として
の「写真作家」などいままでひとりたりとも
存在したことはなかったのだが、写真を志す
者は皆それに憧れ、PROVOKEという運
動はあたかもそんな生き方が可能であるかの
ような幻想をばらまいたのである。だからP
ROVOKEは「プロぼけ」と読むべきなの
だ。
その幻想は「現代写真」という名前で今も
しっかり生きている。そして、その幻想に酔
ってしまうとその先に待っているのは行き止
まりの袋小路だけである。しかし、写真は論
理ではないから、「現代写真」という袋小路
の村社会の中で目をつぶって甘え続けること
も出来なくはない。彼らはPROVOKEほ
ど過激でもないから、心身とも傷つくことは
ない。しかし、当然のことながらPROVO
KEに匹敵する作品を後世に遺すことも絶対
にできないのである。それでも、それを作品
として評価するニセ者は困ったことにいつの
時代も少しはいる。部外者にすればそんな物
には何の価値も無い。それがまともな人間の
常識というものである。当事者にそれが分か
らないのが袋小路の村社会であるゆえんであ
る。
森山大道先生が私に与えてくれた最大の課
題が、その幻想から逃亡することだったよう
に思う。それを今要約するとこういうことに
なる。現実を生きる強さと、その上で撮り続
けるしたたかさを実現すること。写真とは生
きることそのもの、という森山先生の殺し文
句はこのことを言うのではあるまいか。
ところで、「写真作家」という存在に一番
近い写真家は森山先生ということになるのだ
ろうが、それを一番うざったく思っているの
がおそらく森山先生ご本人である。失礼をか
えりみず私はそう断言する。そして、世間が
そこまで強固に誤解の山を築いてしまったら
、本人はその誤解に染まらないようにそれを
適当に利用して生きていくしかないではない
か。それはそれでまた孤独と苦痛をともなう
現実なのである。
「写真作家」などあり得ない。その限りに
おいて写真は断じてアートではない。写真は
個性を表現するのには最も不向きなメディア
である。これは他ならぬ森山先生や長野重一
先生が口を酸っぱくして言い続けてきたこと
だけれども、写真を志す人間が最も聞きたく
ない真実でもあった。
写真は結局のところ表現でも記録でさえも
なく、限りない自己解体なのだと思う。シャ
ッターを押すたびに写真家は死へ向かって一
歩一歩近づいているのである。写真の誘惑(
多木浩二の本のタイトル!)とはおそらく死
の誘惑である。
ただ、それでも私は生き続けるし撮り続け
る。その覚悟があれば何でも撮れるし何でも
書ける。人生は怖い物だらけだけど、結局何
も怖くはない。一番怖いのは自分の妄想なの
だが、それは所詮、自分という枠の中に納ま
るものでしかない。
要するに、見ろよ青い空、白い雲、そのう
ち何とかなるだろう、というものである。こ
の変なエネルギーの回路がどうなっているの
か私には全く分からないのだが、ずっと以前
、私は森山先生に「世界がクリアに見える幸
せを味わいたいのです」という手紙を書いた
ことがあった。写真によって、その幸せを時
空を越えた他者と分け合うことは可能だろう
と私は思っている。