春を待つ

この年末年始の休みの間、まるでかたきを 取るようにひたすら温泉や風呂にひたってい た。べつに温泉旅行に行っていたわけではな くて、帰省先の盛岡の実家の風呂に一日何回 も入ってみたり、盛岡近郊の温泉施設に両親 や弟と出掛けてみたりした。上田の部屋に戻 ってからは近所の別所温泉や独鈷温泉の外湯 にずっと通っていた。いずれにせよ釈然とし ない気分のままお湯に浸かっているのは妙な ものである。
 盛岡では、寒くて雪の多い正月をものとも せず、ローライフレックスの二眼レフを抱え て歩き回っていた。そのあいまに遅ればせな がら「千と千尋の神隠し」を観た。そして、 映画館を出た後何年ぶりかで献血をして綺麗 な看護婦さんを鑑賞したりした。実家で母の 手料理を食べて酒を飲んでもなぜかリラック スできず、昼寝ひとつできない正月を過ごし ていた。あげく、上田へ戻る新幹線で風邪を ひろってしまって耳鼻科に通う羽目になって しまった。その間、そして今も「辻まこと・ 父親辻潤」という本を読んでいる。
 「千と千尋の神隠し」の舞台は神様が集う 風呂屋だったけれど、それが私の頭にずっと ひっかかっているような気がする。雑多なも のを抱え込んで病んでしまった神が、それを 吐き出しに「油屋」にやって来る。そこでは 病んだ神が気持ち良さそうに食べまくり、そ して反吐を吐きちらす。無論それだけがこの 映画の魅力ではないのだけれど、あの、反吐 を吐きちらす神が私にはとてもうらやましい 。読んだことはないけれど、あの映画はどこ かラブレーの物語を思わせるところがある。 それから、もう少ししたら、いずれ読もうと 思って手許に置いていた泉鏡花を読んでみよ うと思う。大食い、反吐、そして変身。それ があんなになつかしい。
 二眼レフのファインダー越しに見ていた白 い雪の盛岡、献血している間に私の腕に刺さ れたパイプから溢れてくる血液、それを見つ める看護婦さんの美しいまなざし、風邪にぐ ずる鼻を抱えて温泉に浸かる私…ああ、私も あの神々のように食べて食べて吐きちらして やりたい。
 今は、神様でさえ病んでしまう時代なのか もしれない。それを思う時、私は神様ではな くて、凍てつく冬のさなか、土の中で息をひ そめているお花の球根がなつかしくなること がある。私はかつてその研究をしていたのだ けれど、人間もあんな風に春を待つことがで きたら幸せなのかもしれない。冬眠する蛙を 歌った草野心平の詩を思い出したりもしてい る。

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