デルヴォーの「鉄の時代」のために

前回書こうとしていたポール・デルヴォー の話です。
 長野県軽井沢町のとなりに御代田(みよた )という町があって、ここにはメルシャン軽 井沢美術館という美術館があります。酒造会 社が酒蔵のとなりに作った美術館なので、構 内には酒蔵と洋酒の売店があり、そこで試飲 するのも楽しみです。
 余談ながら、軽井沢ではなくて御代田にあ るのだからメルシャン御代田美術館という名 前にすれば良いのにと私はかねがね思ってい ます。今の名前では軽井沢にも御代田にも失 礼なような気がします。
 まあ、このへんは西軽井沢地区だから、と いうことなのでしょうが、前回書いたように 、この近所に仕事場を持っていた作曲家の故 ・武満徹は「軽井沢」ではなくちゃんと「M I・YO・TA」という曲を書いています。 この近所の私の行きつけの喫茶店で、ここの 館長さんの名刺をもらったことがあるのです が、その時はさすがにその話題は出せません でした。

ともあれ、この美術館の今年の展示が「ベ ルギー・フランス絵画の交流」というタイト ルで、−コロー、クールベ、アンソールから ピカソ、マグリットまで−という案内がつい ています。ピカソは別格としても、コローも クールベもアンソールも私は興味が持てない し、マグリットはトリッキーな作為が鼻につ いて私は嫌いです。
 そんなわけで、この展示には興味が持てな かったのですが、弟が遊びに来た時にドライ ブがてら寄ってみると、なんと私の最愛のポ ール・デルヴォーの大作があるではありませ んか。展示室奥のつき当たりに「鉄の時代」 が飾ってありました。深夜の駅に貨車が停ま り、その前に裸の女性が横たわって大きな瞳 をぼんやり開いている…

この絵の前では時間が止まってしまいます 。何年も逢っていなかった恋人に偶然めぐり 会った時のようです。私と弟と兄弟ふたりし てぽーっとこの絵に観ほれていました。帰り 際、弟が「他の絵はこの絵の前座だな」と言 いました。確かにこの絵を前にしてはピカソ 一九二〇年代キュビスム時代の小品でさえ私 の目には色あせて見えます。私がデルヴォー の絵を観るのは七年ぶり、富山県立近代美術 館以来でした。
 それにしてもデルヴォーの絵は絵以上の、 まるで生身の恋人が与えてくれるような情動 を私に呼び覚まします。静止した二次元の絵 画がこれほどの魅力を持つのは本当に不思議 に思えます。
 そんなわけで私はこの展示の最終日、再び 美術館を訪れました。今度はひとりです。外 では初雪が舞っていましたが、美術館に向か う道すがら、胸がどきどきしてきて、恋人と のデートの待ち合わせに向かう時と同じなの です。そして「鉄の時代」との再会、ああ、 いてくれた、と嬉しくなります。村上春樹の 「1973年のピンボール」の最後に主人公 が最愛のピンボールマシンと再会する場面が ありますが、あれに近いかもしれません。

デルヴォーの絵には裸の女性とともに汽車 や線路がよく描かれます。デルヴォーの先達 とも言うべきデ・キリコの絵に描かれる鉄道 は、鉄道員であった画家の父への憧憬である と言われ、どちらかと言えば明るい印象があ ります。しかし、デルヴォーのそれは多くの 場合、夜の中で静かに黒光りしています。ひ んやりと静かな印象があるのです。それは絵 を観る者の心の世界への通路を暗示している ように私には感じられます。
 夢や絵画に現れる鉄道というのは心のたど る道のりを象徴しているのでしょうか。デル ヴォーの絵に限らず、林の中や海辺を走って ゆく鉄道を思い浮かべるのは一番私の気持ち が安らぐ時ですし、実際にそんな列車に乗っ て時を過ごすのが私の最大の楽しみです。
 平出隆の散文詩集「胡桃の戦意のために」 にもそんなイメージがあります。その中の断 章63から勝手に引用させていただきます。 「…胡桃の花盛りを分けてすすむ古い列車に 乗って死ぬ人のいる故郷へと帰っていった黒 髪長い女性…」
 長い断章から抜き書きしてしまいましたが 、さわさわと揺れる樹々の下をごとごと走っ てゆく田舎の鉄道というイメージは、ゆるや かに続く永遠の時間を思わせてくれます。

そして、デルヴォーの絵に現れる裸の女性 は唯一無二で、他の誰の作品の女性とも比較 できません。それは煽情的では全くなくて、 別世界のエロティシズムを静かにたたえてい ます。そんな女性たちについて私は、「男の 母性本能をくすぐる」という奇妙な形容をし たことがあります。いかがでしょうか。

そんなデルヴォーの絵から受ける最大の印 象はたまらない懐かしさなのですが、あの日 私はこの絵の前にずっと佇んで、懐かしさと いう感情についてあれこれ考えをめぐらせて みました。
 懐かしさというのは過ぎ去った過去の思い 出に対する感情なのだけれど、そんなとらえ 方に最近私は飽きがきています。そうではな くて、未知のものに出会った時に感じる懐か しさというのは、実はこれから出会う事象に 対する期待であり、未来からの予告なのでは ないでしょうか。そう考えると、懐かしさと いう感情がとてもポジティヴにとらえられる と思います。
 懐かしみが深まるほど未来がひらける。こ れはとても素敵なことだと思います。そうな ると、森山大道先生が言ったように「過去は いつも新しく、未来はつねに懐かしい」のか もしれません。
 デルヴォーの絵が私に予告してくれる未来 、それを楽しみに生き続けていこうと思いま す。



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