食い物と人間不信

今昔物語にこんな話がある。
 小役人の詰所に魚の干したのを売りにくる 老女がいた。この干し身が大層美味しかった のでひいきにしていたら、ある日野原でこの 老女に出会った。魚売りがなぜ野原にいるの か怪しんで調べてみると、老女は野原で蛇を 捕まえてそれを干して魚と称して売っていた のが判った。…この話には、全体の形が分か らない時には、どんなに安値でもむやみに気 張って買い込んで食ってはならぬ、という教 訓がついている。(巻三十一第三十一話)
 また、今昔物語にこんな話もある。
 物売り女が売り物の鮎鮨の中に反吐を吐い てしまった。しかし女はそれをそのままかき まわして売りに行ってしまった。それを物陰 から見ていた男が吐き気を催して、鮎鮨など 絶対に食わないよう決心する。…この話には 、町なかで売っているものは物売り女の品物 に限らず、いずれきたないものばかりである 。だから少しでも余裕のあるひとは、どんな ものも、目の前で確かに調理させたうえで食 うべきである、という教訓がついている。( 巻三十一第三十二話)

急に古典の話などして恐縮だが、最近、世 間を騒がせている食品メーカーの偽装事件に 対する教訓は、こんな風に千年以上前の平安 時代にすでに示されているように思う。これ は今さら騒ぐのも馬鹿馬鹿しいくらい当たり 前のことで、逆に千年前より我々は確実にバ カになっているとも言える。
 要するに、ジャンクフードにすぎない既成 食品を、しかもお金を払って喜々として食っ ている我々は本当に間抜けでおひとよしなの ではあるまいか、ということだ。大手食品メ ーカーといっても、どこの馬の骨だか全く顔 が見えない無責任な連中が作ったものを、み んなよくまあ何の疑いもなく有り難そうに食 うものである。
 例えば、雪印が作っていた低脂肪加工乳な ど製造工程が複雑で事故が起こりやすい上に 、そもそも我々の食生活には全く不要なもの にすぎない。牛乳に含まれる脂肪分は別に肥 満の原因になるわけではないし、ましてや毒 でもない。普通の成分無調整の牛乳があれば それで充分なのである。これなら製造工程は 単純だから、あんな事故など起こらない。ど こで搾った原乳を使っているのか分からない 大手メーカーでなくとも、普通の牛乳なら地 元の小さなメーカーで新鮮なものが供給でき るのである。
 狂牛病やら日本ハムの偽装事件で大騒ぎに なった牛肉にしても、あんなに目の色を変え てまで食うほどのものではないと思うし、ま してやハムなど本来は家庭で作る保存食だっ たわけで、大企業が作って大規模に供給する ような食品ではないだろう。牛肉にせよ豚肉 にせよ新鮮なものが日本中どこでも簡単に手 に入るのだから、何が混ぜられているとも知 れないハムのたぐいをあんなにたくさん食う 必要があるのだろうか。あれは一種の珍味な のだと私は思う。ちなみに、野坂昭如の「て ろてろ」には、大手メーカーのハムに重度心 身障害児の肉を混ぜて、それを総理大臣はじ めお偉方に食わせて人食い呼ばわりしよう、 という話がでてくる。
 私は三流健康食品メーカーにいたことがあ るから、連中の猿芝居など本当にイヤという ほどたくさん見ている。企業という壁の内側 で何が行われているかも考えずに、実にたく さんのひとがその製品を買って食うのである 。この業界に限ったことでもないのだろうが 、もう絶対に食品会社で働きたいとは思わな い。精神衛生に非常によろしくない。何せ私 はそこで検査係とクレーム処理係をやらされ ていたのである。上司の検閲で、体裁の良い いんちき文書を書かされるのが私の仕事のよ うなものであった。結局、私の鬱病はそれが 原因である。せめてもの救いは、私の仕事に よって健康を害したひとはいなかったこと、 あるいは健康を害するひとが出る前にその仕 事を辞めたことである。
 大企業から中小企業まで、もちろん地道に 誠実にやっている会社がたくさんあることも 私は知っている。しかし、全国ネットで商売 をしているメーカーは大小にかかわらずどこ も似たようなものである。それを流通させる 生協も、それを取り締まる役所も重箱の隅を つつく明きめくらの集団である。その意味で はいんちきメーカーも役所も生協も実におい しい商売なのである。ちなみに私は生協の扱 う食い物はもう一生口にしたくない。連中は 本音と建前を実に巧く使い分けて保身を図る のである。
 メーカーの入出荷記録や製造記録、あるい は検査記録で捏造されていないものなど皆無 だし、食品メーカーが休日出勤や深夜残業を するのは、その記録の捏造のためだと思って 間違いない。そして隠しようのない事故が起 こると、今度はその原因を捏造することにな る。事故による会社の損害を最小限に抑える ためである。書類を捏造し、倉庫内の原料表 示を捏造して検査にやってくる取引先や役所 の目をごまかすわけである。
 もちろん、メーカーだけが悪いわけではな くて、欠品を絶対に許さない生協がメーカー の不正を促している。世間はどうしてそれを 叩かないのか私は不思議で仕方がない。なま ものを作っているのだから、時に欠品を起こ すのは当然のことなのである。逆に言えば、 欠品が起こらないメーカーはまず疑ってみた ほうが良いということになる。美味しいラー メン屋の、「スープが終わり次第本日の営業 は終了いたします」というのがまともな食い 物を作る基本的な姿勢だろう。
 …こんなことは私ごときが言わなくともみ んな分かっているはずだ。この手の事件が発 覚するたびに、「あの会社は運が悪いね、ど こでもやってることなのにさ。」とささやき ながら、その会社をいけにえにしていじめて 楽しむのが世間である。そうすると食品業界 全体に対するマスコミのマークが厳しくなる のも私は実際に見た。そんなバカなことに血 道をあげるより、「王様は裸だ!」と叫ぶひ とがいないのが私には本当に不思議に思える 。まあ、マスコミだってそれに劣らずきたな い業界だから仕方ないのだろうけどね。

結局、そんな業界の中で喜々として働くサ ラリーマンという人種が私にはどうしても理 解できない。どうしてあんなに見事に組織の 歯車になりきれるのだろうか。生きる場所は 他にいくらでもあるということも知らずに、 何の苦痛も見せず(私にはそう見える)毎朝 毎朝定時に出勤して、何の疑問も抱かずに夜 遅くまで自分とは本質的に無関係な仕事に心 身をすり減らす。そのためには他のどんなも のを犠牲にしてもいとわない。本当に気味が 悪いほど平板な彼らは、上から指示が下れば 平然と嘘をつくし、そしてひとも殺すだろう 。それは軍隊やテロリストや狂った宗教団体 を思わせる。人生は催眠術だ、というフロイ トの言葉が私は忘れられない。

…とりあえず話を食い物にもどす。
 そんな無責任な連中への我々の対策は、実 は簡単なことなのである。今昔物語が示して いる教訓の他に、便利さや身体に良いとかい う文句につられて、無くても済む既成食品を 買わないこと。そして舌を肥やしておいて不 味いものを食わない(食えない)ようにして おくこと、それだけである。
 値段が高いものは必ずしも美味いものでは ないし安全なものでもない。であれば、あら ためて健康食品などと銘打った高価な食い物 など不要である。自分の舌ではなく、値段や 風評で食い物を判断する間抜けさが連中をつ けあがらせることになる。本当に美味しくて 安全な食い物はシンプルであり、適正な値段 で流通するはずだ。逆に言えば、そんな本当 の食い物を食べていなければ悪い食い物が判 別できない。まともな食い物を食べるという ことは、金銭的には特にぜいたくなことでは ないのである。それが本来の裕福というもの だろう。
 食い物に限ったことではなく、アートや人 間(もちろん女性を含む)だって同じことだ と思う。よいアートに接しなければ、素敵な ひととおつきあいしなければ何事も始まらな いのだ。せめて、それに値する男であるよう に生きていたい。そんな裕福を味わうために 我々は生きるのではないかと私は思う。



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