夢語り、ふたたび

眠っている間にみる夢についてもう一度考 えてみたい。夢と現実の関係を自分なりに明 らかにしておきたいと思う。
 ただし、夢が現実を予告するかとか、現実 の体験が夢にどんな影響を与えるかといった 因果的な関係には今のところ私は余り興味が 持てない。夢と現実の因果関係を考えるのは 一見ミステリアスで面白そうに思えるけれど 、それは結局夢と現実双方の広がりと可能性 を奪うことになるのではないかと私は思う。 要するに、因果関係を忘れて目の前に生起す る事象を体験できるからこそ夢も現実も生き るに値するのではないか。
 夢の中での体験は、現実での体験と等価で ある。そして夢は現実の一部であり、現実は 夢の一部である。そう私は理解している。
 すると、存在しない世界での体験が覚醒し た現実での体験と等価である、という夢の実 感がうまく説明できることになる。夢は眠り の中に入り込んだ現実である、と言ったら良 いか。
 とすれば、やや残念なことではあるけれど 、夢の可能性はこの現実の範囲を越えること は無い、ということも言っておかねばならな い。夢はおそらく、真の異界への入口などで はない。逆に、夢は目覚めた後の現実と拮抗 することによって初めてその力を現すはずだ 。だからこそ、夢を単なるフィクションとし て無造作に扱うのは余りにも惜しい。

我々はあくまで現実における可能性を考え るために夢をみる。そして、この現実から独 立した真の異界の可能性を探るのは精神世界 の外、つまり覚醒した現実を存分に生きるこ とから始まるだろう。(その現実はもちろん 夢に裏打ちされている。)
 要するに、夢ではなくて覚醒した思考こそ が真に自由で幻惑的であり、この現実を越え ていく力を持っている、という結論に到達す る。

その、異界の痕跡を現実の中に発見するこ とくらいは写真に可能なのではないかと私は 思う。そうであれば、アナーキーな思考に鍛 えられた覚醒した感覚こそが写真家にとって いちばん大事なものだということになる。
 現実を引き写すだけでしかない写真という メディアにいかに広大な可能性が秘められて いるか、それを考えるきっかけがこの辺りに あるような気がする。



[ BACK TO MENU ]