「表現の自由」が何なのかを私に教えてく
れたのもサドの作品と伝記、そしてそれを美
しい日本語で提供してくれた澁澤であった。
高校生の頃、私はサドの「悪徳の栄え」と澁
澤の「サド侯爵の生涯」を幻惑と恐怖と陶酔
と欲情をもって読み通した。特に、「悪徳の
栄え」をその頃に読んだのは私にとってかけ
がえのない経験となった。それは目の前の現
実に押し潰されそうになっていた少年に、世
界の広さと深さを確実に教えてくれたのであ
る。そしてサドは自由や孤独というものの特
質を色々な形で教えてくれた。その極上の愉
楽と底知れぬ怖さをも。その中に「表現の自
由」もあった。
「表現の自由」は私が私に対して闘って勝
ち取るものであり、そこに他者や社会、まし
て裁判所が介在する余地は無い。孤独との孤
独な闘いなのである。サドの教えを今、言葉
にしてみるとそういうことになる。写真の世
界に置き換えてみれば、その闘いは写真家の
数と同じだけあるはずだし、それはひとりひ
とりの写真家が生きている限り続く。こうし
て書いてみると当たり前のことだし、ちょっ
とこそばゆい思いもするけれど。
ただ、澁澤が亡くなってもう十五年近い時
間が過ぎた。その間にますます訳の分からな
いことが増えたように思う。サド裁判の時代
どころか、澁澤が亡くなった八十年代でさえ
もはや懐古の対象である。パット・メセニー
の「80/81」というアルバムの日本盤C
Dが出たのが九十年の年明けだったが、その
時の帯に記されていた言葉が忘れられない。
「古き良き八十年代を代表する名盤」。
ところで、サド研究は澁澤の没後にフラン
スでも日本でも大きな進展を遂げたらしく、
その概要は岩波書店から出た「文学」という
雑誌のサド特集号を読めば分かる。没後二百
年近くを経て、サドはいまだに変貌を続けて
いる。それもサドの魅力である。
結局私にとってサドという作家は、少年時
代に強烈な刺激を与えてくれただけの作家で
はなくて、これからずっと、一生おつきあい
していく大切な作家なのである。あの、サド
の大長編をゆっくり読み返すことができたら
今の私は何を得るのだろうか。奇しくもモー
リス・ブランショの論文のタイトルでもある
「サドの理性」を、もはや高校生ではない私
はどう受け止めるのだろうか。そして、サド
が激しく憎んだキリスト教のモラルから最も
無縁な二十一世紀初頭の日本で、サドの戦慄
はどう作用するのか。
もしかしたら、サドこそがモラルの基準な
のかも知れない。