朝の光のなかで
朝、目を覚まして、たとえばゴミ出しのた
めにさわやかな光のなかを歩いていると、「
ああ、ここは闇の世界ではないんだ」と心底
安心することがある。悪夢にうなされて目覚
めた朝なんか、特に。
この世界には光があって、私は私で、万物
の輪郭はくっきり存在する。夢の世界のよう
に、全てが曖昧でアナーキーなわけではない
。その夢の世界にいつまでも安住するには、
われわれの肉体はたぶん耐えられないのだろ
うと思う。だからわれわれは目覚める。
それでも、この光の世界にあっても、われ
われは正当な法則にのっとって、老い、いつ
の日か肉体を失う。その時、われわれはあの
完全にアナーキーな世界に移住するのだろう
。それが死だ。
光があって、所々に闇が潜んでいるこの世
界。その力によって時間はいやおうなしに流
れてゆくけれど、それは別に悲しむべきこと
ではないということも今の私には分かる。
光を浴び、闇をくぐり、そして生きてゆく
。あんな悪夢の落とし穴ではなく、私のため
に存在する、明るく穏やかで自由な世界の入
口にたどり着くために。それが私の生と死だ
。
だから、こうして生きている限り、死は怖
くないような気がする。怖いのは現在を全う
できずに、知らず知らずのうちに何かを恐れ
ながら生き続けることだ。その終着に、おそ
らく覚めることのできないあの悪夢の世界が
待っているのだろうから。
朝の光がまぶしい。