温暖化が進むと気候が極端になる、と言うけれど、まさにそんな感じがする。夏はやたらに暑くて大雨が降ったりして、そして冬は厳しい。今年は去年よりも寒くて雪が多い冬だと思う。ムーミンみたいに人間も冬眠できれば世の中も人生も、もっと平和になるのではないかと私は思うことがある。けれども、こうしていつも活動しなければならないのは天罰であろうか。
こんな時に、つまり北国は寒くて大雪が降って、そして役所は年度末を控えて忙しくて、受験生は入学試験に追われているこの時期に、国会を放り出して選挙に走る総理大臣の気が知れない。そのあおりで予算が国会を通らなくて困るひとがたくさんいる。けれども、そんなことを気にしていては総理大臣なんか務まらないよ、と言うのであれば、もはや私ごときに何も言うことは無い。
その選挙が終わって、まだ厳寒の気象が続くけれど、立春が過ぎると光が明るくなってきたのが分かる。季節は確実に進んでいる。人間の営みを越えたところで宇宙はきちんと動いているのである。
それにしても、温暖化だけでなくて社会のデジタル化が進むと、何事も1か0かという、つまり極端から極端へと振れる世の中になってしまうのだろうか。今回の選挙の結果を見て私はそう思う。こんな世の中では、「中道」が浸透するにはずいぶん時間がかかってしまうだろう。
その「中道」というのはそもそも仏教の用語で、これは仏陀の教えの核心だったと思う。政党の名前にするには少々もったいないような気もする。
「中道」というのは平均主義でも日和見主義でもなくて、すべてを不偏公正に勘案したうえで採る、極端に走らない生き方、というようなことらしいけれど、これは、極端に振れるよりもずっと難しいことだろう。
それでも、ヒトラーの時代ほどには我々は愚かでないことを私は信じたいし、極端に振れた世の中は、そう遠くない将来に再び逆の方向に振れる。これは今までをふり返ってみれば分かることだと思う。あまり感情的になること無く、私は自分にできることを続けてゆくしか無い。
幸い今の私は時間に恵まれているので、忙しかった時には読めなかった本をゆっくり読むことができる。ちくま新書から出ている秋葉剛史著「形而上学とは何か」を私は読み通すことができた。
「形而上学」という哲学の一部門に私が興味を持ったのは、私の大好きなデ・キリコの絵が「形而上絵画」と呼ばれていたからなのだけれど、これは形而上学とは直接の関係は無い、ということも百科事典で私は読んだ記憶がある。
この、形而上学の入門書を読んでいると、この種の哲学はこの世の基本的な構造についての研究、と言うよりも、それを記述している言葉の規則について研究しているのではないか、という印象が私には残る。
こんなふうに、言葉の規則を使って考えてゆくよりも、物理学による宇宙論や生物学による生命論、それを分かりやすく解説している本の方が私には魅力的である。ただ、そんな物理学や生物学を記述する論理について研究するのも哲学の仕事なのだろうから、物理学や生物学とも形而上学はつながっているのだろう。ただ、私のようなしろうとには、形而上学は言葉で出来ているもうひとつの体系、法律との関連が強いような印象を持った。
ただ、これもしろうとの言いがかりなのだろうけれど、人類の歴史のうえで、言葉よりも映像や音楽の方がずっと古いのも確かなことである。だから、こうして言葉をあやつりながらも、絵画を観て楽しみ、写真を撮り音楽を聴くことに安らぎをおぼえる私のような人間には、言葉だけで構築された形而上学とか法律とか政治といったものが、どうにもきゅうくつに感じられてしまう。
それは大切なことには違い無いけれど、自然や、科学や、アートが与えてくれる歓びには遠く及ぶまい。私にはそんなふうに思える。その歓びにはもちろん、ひとの温もりとか美味しいものを食べる幸せとかも含まれている。
どうせ世の中の混乱は、これから百年も二百年も続くのである。これからも世の中は大きく振れ続けるだろう。それにまじめにつきあっていたら身も心も持たない。今書いたような歓びに気づいたのであれば、私は私なりの「中道」を心がけて生きるばかりである。
あまり関係無いことだけれど、今から九十年近く前に書かれた堀辰雄の「風立ちぬ」で、主人公が婚約者を亡くした後に軽井沢の山荘で冬を迎える場面がある。その冒頭近くに「どこか北の方の山がしきりに吹雪いているらしい。」という文がある。これは、当時の、戦争に向かう世の中のことを言っているのではないか。私はずっとそう感じてきた。
それから、今読んでいる岸惠子のエッセイ「孤独という道づれ」の最後に、
「お若く見えるわあ! 何か秘訣があるんですかあ?」と訊かれて、
「若く見えているんじゃないの。若いの!」「何もかも一人でやっているわたしには、山ほどの苦労があって、皆様のようにしあわせな皺を刻んでいる暇などないの」
と言い返す場面がある。これは岸惠子が八十代なかばの時の文章である。私ごときはその苦労には及びもつかないけれど、それでも、私なりに何ものかを相手に闘い続けながら、特別な楽しみをいつくしみながら、「中道」をめざして私は生きる。これは、もしかしたら「中道」よりもダダイスムに近いのだろうか。そう考える方が面白い。ただ、これはえらそうなことではまったくないので、漢字で「駄々」と書いた方がよさそうである。
そんな変なことを考えているうちに春がやって来る。身体はそれを知っているし、この宇宙は我々の想像を絶して広い。これを忘れずにいれば大丈夫だろう、と私は無責任に思う。