「風景写真研究」から

今年も酷暑がやって来ている。それでもこの文章を書き始めた今、立秋を過ぎて、暑さの山は越えたみたいだ。ようやく雨が降って、いくらか気温が下がっているのはありがたい。でも、大雨が降っている地域もあって、気象が極端だと思う。

こんな時には心身ともにおかしくなってしまう。私は幸い熱中症に倒れることもなく、いつもの日常を過ごしているけれど、暑さの山と重なった休日にカメラを持って外を歩くと、ぐったり疲れてしまう。途中でジャズ喫茶に入っても、レコードを聴きながら私はうたた寝をしてしまう。それでも、好きな音楽を聴きながらうたた寝をすると、私はとりあえず回復する。外出もせずに、何もしないで冷房の効いた部屋にひきこもっている方が私はおかしくなってしまう。

僭越ではあるけれど、私は自分で思っている以上に写真家なのかもしれない。ずっと以前から、そんなふうに思うことが時々ある。いずれにせよ、私にひきこもりの適性が無いのは確かである。ありがたいことである。

ところで、私の手許に田中雅夫著「風景写真研究」という本がある。もう五十年近く前に、著名な写真評論家であった著者が朝日ソノラマから出した小さな本で、このシリーズからは森山大道さんの「遠野物語」とか荒木経惟さんの「写真への旅」が出ている。

もう何十年も前、少年だった私は、田中氏にお目にかかったことはなかったけれど、ある縁で「風景写真研究」の著者サイン本を贈っていただいた。この本は風景とは何か、という考察に始まって、風景写真の歴史、風景写真の在り方、田中氏による風景写真家についての小論、田中氏が訪れて接した日本の風景についての思い出と考察が、平易ではあるけれども含蓄のある文章で記されている。

この本をいただいた当時の、少年だった私には、これはとても読みこなすことができない本で、それでも、私に読める部分は折りに触れて少しずつ読み続けてきた。この本には森山大道さんの仕事に触れている部分があって、そこはよく読んでいたと思う。

余談ではあるけれど、この頃は写真に限らず、たとえばジャズの油井正一氏のように、まるで横町のご隠居のような、粋で世間が広くて、読みやすい名文を書く評論家がたくさんおられた時代だったのだな、と私は時々思う。

私も歳を取ったのだろうか。最近の風景写真にはあまり興味が持てないけれど、図書館に行くと、この本で論じられている風景写真家の写真集がいくつも置いてある。この暑さを避けて、図書館で私はそんな写真集をぼんやり眺めていたりする。

私の行く図書館の本棚には、緑川洋一氏のモノクロームの写真集「日本の山河」がある。今から三十年くらい前に出版された、著者の日本のモノクローム風景写真の集大成である。見ていて飽きないし、もちろん私がモノクロームで撮ることの大きな刺激になる。雄大な風景であっても町のスナップであってもそれは変わらない。

そして、緑川洋一というひとは、秋山庄太郎や植田正治、岩宮武二(森山大道さんの最初の先生でもある)と同世代の写真家で親しい友人どうしだったけれど歯科医師でもあり、日本を代表する風景写真家として名声を得た後も、生涯にわたって歯科医師の仕事を続けておられた、とのことである。

この時代の写真家は、今よりも、気持ちに余裕を持って写真に取り組まれていたのではないか、という気がする。写真は大人(たいじん)の仕事であって、そこをはき違えて、変に芸術家気取りになって世間を狭くしても仕方が無い。そんな感じがする。穏やかに生きて、生涯にわたって撮り続ける。この時代の写真家の多くはそんなふうに生きたのではないだろうか。その結果として残された写真の集積が、こんなふうに時代が変わっても生き続けて、たくさんのひとに愛される。

そんなことをぼんやり考えながら自宅にもどって、田中雅夫著「風景写真研究」を読み返すと、そこには緑川洋一氏を論じた文章がある。

そこには、緑川洋一くらいオプティミスティックに日本の風景を見ている写真家は他にいないだろう、という文がある。そして、私たちの時代というのは大体においてペシミズムの精神的、歴史的背景をそれぞれに背負っていたのでどうしてもそういうものに惹かれやすい、という文が続く。これは、写真に限らず、五十年が過ぎた今であってもそのまま世の中に通用する言葉ではないだろうか。そしてこの段落は、確実に写真を写すことによって確実に生きていこうとする緑川洋一のような存在は目がくらむように輝かしい、という文で結ばれる。

なるほど、ペシミズムに流されるのは安易なことである。でも、そこからは何も生まれない。楽しい生活を送ることもできないし、ひとを楽しませることもできない。私ごときに巣くっている程度のゆううつ(これはペシミズムとさえ言えない)なんて、単に世間の安易な風潮に流されて生じたものに過ぎないのだろう。以前、北斎やわらさんから忠告されたとおり、疲れたら休め、それだけのことなのだと思う。

話は変わるけれど、この下り坂の世の中は、あと何百年も続くだろうし、その間に、この技術文明は衰えてしまうだろう。この気候は百年単位で見ると温暖化が進むけれど、千年単位で見ると寒冷化が進んで、あと一万年もすれば氷河期がやって来るらしい。そして、百万年前に今と同様の技術文明がこの地上に栄えていたとしても、我々はその痕跡に気がつくことはできないだろう、という説もあった。

いつ滅びるか分からないけれど、我々も同じことである。長い目で見れば、我々の文明は跡形もなく消えてしまうらしい。たとえば、これから百万年もすれば核のゴミの毒も消えて風化して、世界中にまき散らされたプラスチックも、新たに出現する微生物によって分解されてしまう。いずれ地球は、この文明と無縁の美しい惑星にもどる。

だからと言って、今の我々がペシミズムや無為におちいるのは愚かなことである。慎ましく、気持ちの余裕を持って、与えられた人生を歩む。それでよいのだと思う。ゆううつのとりこになっていても仕方が無い。

だから、もちろん私の写真も遠からず消滅する運命にあるのは自明なことなのだけれど、そんなことはもうどうでもいい。今までの私のように、写真は生きることの記録である、と考えていると、ついついつまらないペシミズムに毒されてしまうような気がする。

そうではなくて、写真によって、たとえささやかであってもよいから、何かしらの構造物を作り上げたい。そのために生きてゆきたい。そう考える方がはるかに有益であるように思う。生計を立てる職業と同様に写真を考えておく方が、かえって生きやすいし楽しい。私も成長したのだろう。

自分の写真をまとめつつ撮り続けることが、今の私にとってのその仕事になる。田中雅夫氏と緑川洋一氏が私にそれを教えてくれた。このことを大切にしたい。

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