盛岡出身で新宿を撮り続けた写真家、故・渡辺克巳さんの回顧展が盛岡で初めて開かれている。会期中の最初の土曜日には奥様が出席されたトークショーやセレモニーが開催されて、私もそこに参加させていただいた。
渡辺克巳さんは来年で没後二十年になるけれど、ご自身の生命が長くないことを知ってから、遺したい自分の写真をバライタ印画紙でプリントする作業に没頭されていた、とのことで、今回展示されている五十四点のモノクロームのプリントは、その時に制作されたもの、とのことである。
新宿の夜を彩ったひとびとをストロボで写しとめたポートレートや、子どもたちが遊ぶ新宿の裏町を写した景色が会場に並ぶ。トークショーやセレモニーが終わった後、奥様にお話をうかがいながら、私はゆっくりその写真を見直すことができた。ありがたいことである。
写真が、見るたびにその表情を変える。渡辺克巳さんの写真にはそれだけの奥深さがある。トークショーやセレモニーの前に見た時と、それが終わって他のお客さんがほとんど帰ってしまって静けさを取り戻した会場で見るのとは印象が違う。より深みを持って渡辺克巳さんの写真は語りかけてくれる。優れた写真は見るひとを映す鏡でもあるのかもしれない。
渡辺克巳さんの写真が、かつての新宿のひとびとや写真家自身の人柄を伝えるものであるのはもちろんのことだけれど、オリジナルプリントを初めて見た私に、それは変化自在な写真というメディアの魅力をも教えてくれた。
これは私の勝手な想像だけど、夜の新宿で「流しの写真屋」として活動を始めた渡辺克巳さんは、写真の魅力にはまり、活動の場を広げて、写真家として認められてゆくことによって、写真の、変化自在のメディアとしての在り方にも気づいていったのではないだろうか。
「流しの写真屋」としての手渡しの写真、雑誌に掲載される写真、写真集として出版される写真、プリントとして展覧会に出品される写真。そのいずれもが独自の魅力を持っていて、それに優劣をつけることは不可能である。そして、それらを創り出しつつ、人生を旅する写真家として生きること。このことが写真に生命を吹き込むのではないだろうか。これはとても幸せなことだと私は思う。
晩年の渡辺克巳さんが、自らの代表作をていねいにプリントし直したことが、私にそんなことを思わせてくれた。そして、遺されたプリントを奥様が大切に保管されて、世に広める努力をされて、こうして渡辺克巳さんの写真は今、広くよみがえりつつある。本当に素晴らしい。会場に展示されていたのはオリジナルプリントだけではなくて、お客さんに渡せなかった小さなプリントやご家族の記念写真、写真集、カメラ等々、そして生前のインタビュー映像である。それらが、渡辺克巳さんという写真家の息づかいを伝えてくれる。
以前から私が手許に置いていた渡部克巳さんの写真集に載せられたエッセイを読むと、渡辺克巳さんは時々故郷の盛岡に帰って来ていたらしい。それでも、奥様にお話をうかがうと、盛岡の写真は撮っていたかもしれないけれど、それを発表するつもりは無かった、ということだった。そして、渡辺克巳さんが新宿に惹かれたのは、生まれ育った盛岡の花街に通じる気配を新宿に見い出していたからではないか、と私に教えて下さった。
写真家にとって、故郷に通じる場所を見つけるのはとても大切なことなのだと私は改めて教えられた。そんな場所があれば、写真家は生涯に渡って撮り続けることができる。そして、そんな写真家は、おそらく何処に行ってもまるで故郷のような写真を撮ることができる。その写真が持つ気配はひとびとを魅了する。
僭越ではあるけれど、ここで我が身にひるがえって考えてみると、私には愛憎紙一重の故郷である盛岡の他に、第二第三の故郷がいくつかある。そして、未知の場所に行っても私はたくさん写真を撮れる自信がある。それについては今さら考え直す必要は無い。
ただ、晩年の渡部克巳さんが代表作をオリジナルプリントとして残したように、私もいろんな形で自分の写真を残すことを考えてみた方が、より自由に楽しく写真を撮れるような気がする。この「東京光画館」がその場のひとつであるのはもちろんのことである。
私の手許にはRCペーパーでプリントしたモノクローム写真がたくさんある。そのうち、フランスで撮った写真は小さな本にまとめてある。その他にも、たとえばずっと以前、盛岡で撮った百枚以上あるモノクロプリントも、私があまり歳を取らないうちにまとめてみたい。それはもう三十年近く前、楢橋朝子さんの仕事場兼ギャラリー「ゼロサンフォトス」で展示した写真で、今となっては稚拙に思える部分もあるのだけれど、撮影してから数十年も経つと、そこにはまた別の意味が生まれてくる。そう思えるようになった。
それにしても、私の写真はバライタ印画紙にはあまり合わないみたいだ。以前、一回だけそれでプリントしてみて私はそう思った。光沢のRCペーパーが私の写真には一番合う。きちんと処理をして適切に保管すればRCペーパーだって三十年以上、綺麗な状態で保管できることが判った。バライタ印画紙に無理に色目をつかうことも無いだろう。
渡辺克巳さんは写真家としてとても幸せなひとだったと私は思うけれど、当然のことながら、渡辺克巳さんと私の写真は違うのである。
そして、いつの日か、こうして「東京光画館」で発表し続けているデジタルのカラー写真も何らかの形でまとめてみたい。そのきっかけが自分の中でいつ見えてくるのだろう。そう思いながら私は日々の写真をデジタルのカラーで撮り続けている。
写真とは直接関係の無い話だけれど、この文章を書き始める数日前の夜、盛岡の老舗そば店が火事で全焼した。私も時々ごちそうになっていたお店である。創業は江戸時代の初めという。
翌日の地元紙に載せられた、まだ若い当主のインタビューを読むと、そのお気持ちが決して折れていないことが伝わってきた。
時間はかかるかもしれないけれど、いつか必ず再建するのだと思う。それを私も応援しているけれど、四百年以上も続いてきたお店というのは、その間にいろんな目に遭って来ているのだと私は想像する。それを乗り越えて今がある。
私だって、たかが二十一世紀の時代の変化なんかに負けてはいられない。それを教えられた。