精霊

手許の辞書で「精霊」を引いてみると、「死んだ人のたましい」とある。私はここで、生きているひとのたましいについて書いてみたいので、「精霊」という言葉は適切でないかもしれない。これは神ではないので「聖霊」とは違うし、「生き霊」はたたりを及ぼすものを言うらしい。 もう連絡を取ることはできないけれど、この世のどこかで今も生きているひとの、それでも私のそばにいつもいてくれるたましい、それを「精霊」と呼ぶことにする。

これはずっと昔、たとえば少年時代の思い出のようなものなのだろうか。「少年時代の美しい思い出があれば、ひとはそれだけで一生を幸せに生きてゆける」というのはドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に出て来る言葉だったと思うけれど、精霊は思い出とは違って、もう少し意思のようなものを持って、少し揺れ動きながら、私のそばにいてくれるような気がする。

私の少年時代、ブラスバンド部で仲間と一緒に出していた音が、姿を変えて今も私を護って、導いて、そして私の撮る写真の中に気配となって写りこんでいる。そんなことを私は以前、書いたことがあった。このことに少し似ている。

そのひとの精霊は姿かたちを現さないので、私に語りかけてくることは無いけれど、何かの意思を持って私のそばに、ただいてくれる。

それは私の古い恋人のことなのだけれど、精霊になった彼女には姿かたちが無いので年齢が無い。これは昔の面影というわけではまったく無いのだ。楽しいことも思い出したくないことも、当時の彼女にも私にも欠点はたくさんあったけれど、精霊はそのすべてを脱ぎ捨ててしまっているので、何も言わずにただ私のそばにいてくれるのである。それは何か特別なメッセージを伝えてくれるわけでもない。

だから、私はこの精霊に対して話しかけることは無いし、腹を立てることも無いし、さみしい思いもかなしい思いもまったく抱いていない。それは思い出とも離れたところに在るように思う。そして、精霊は人間としての感情を持ち合わせているわけではないので、私の新しい出会いに干渉することは無いし、私を叱責することも無いし、私に甘えてくることも無い。繰り返しになるけれど、何も言わず、姿を現すことも無くて、ただ私のそばにいつもいてくれるのである。

この前、私が旅をした青森県の下北半島は、霊場として知られる恐山があるところだ。恐山に行かなくとも、下北を気に入ってその温泉を訪ねるのが習慣になると、そんな気づきがやって来るのかもしれない。なじみの宿のおかみさんと話している時に、私の口から思いがけず、「それは今もここにいるんですよ」という言葉が出て来たからだ。余談ながら、このおかみさんは以前、私の母島写真集を見て、「あなた自身が闇の世界から光の世界に抜け出た印象があります」と言ってくれたひとだ。プロの批評家だってそんなことはなかなか言えないだろう。

話を戻すと、「それは今もここにいるんですよ」という言葉が私の口から出て来て以来、姿かたちは見えないけれど、この精霊の存在を私は素直に納得できるようになった。これに気づいてみると、生きることがずいぶん楽になる。「やっと気がついたのね」ということになるのかもしれない。

盛岡に戻ってきてから年長の知人と話していると、そんな精霊と一緒に生きているひとは案外たくさん世の中にいるらしい。ずっと会っていない息子の精霊と一緒にいる、という男性を知っているよ、とそのひとは教えてくれた。

そして、この精霊は目に見えないけれど、分かるひとにはその存在が分かるものらしい。今まで、私に目をかけて大切にして下さったのは皆、そんなひとだったように思えてくる。本人さえ気づいていない精霊の存在を感知できるひとがおられるのである。

ただ、そんな精霊の在り方はひとによって異なるものらしい。歴史上の人物で言えば、私の大好きな南方熊楠もそんな精霊とともに生きたひとだったようだ。ただ、熊楠の精霊は、私の精霊よりもずっと具体的だったように思える。それは熊楠の学問上の発見を導いたり、彼の前に姿を現すこともあったらしい。

フィクションの世界なら、私の好きな井上靖や村上春樹の長編小説に、そんな精霊がしばしば登場する。その精霊たちは私のそれとはやはり性格が異なるけれど、その作品世界は私にとってかけがえなく大切なものである。この二人の作家が世界中で支持されているということは、そんな精霊の存在を感知できるひとがどこに行ってもたくさんおられる、ということを示しているのかもしれない。

河合隼雄さんがひらがなで書く「たましい」とそんな精霊とは大いに関係があると私は思うけれど、今の私にその関係を考察する力量は無い。それよりも、私はこの、姿かたちが無くて、語りかけてくることも無くて、それでも何かの意思を持って私のそばにいてくれる暖かい精霊を大切にしていたいと思う。このことが私の明晰な思考をうながして、ものを見る目を磨いて、優しく開かれた生き方を可能にしてくれると思うからだ。

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