忘れること、忘れられること

終わる見通しの立たない戦争が世界のあちこちで続いている。日本は辛うじて平和だけれど、その戦争の影響で、手に入りにくくなったものがたくさんある。物の値段が高くなって、雑誌や新聞が少しずつ姿を消して、世の中がきゅうくつでさみしくなっている。世の中が便利になった代わりに、自分と異なる意見や感受性を持ったひとの言い分や作品に接する機会が減って来ている、とも私は思う。ひとりひとりが狭量になってしまいがちで、扇動に左右されやすくなってしまっている。

こんな世の中を記録して、後世に残そうとすることにどれほどの意義があるのだろうか、それは楽しいことなのだろうか、とふと私は考える。ゴミのような情報だけがどこかに蓄積されて、それもいずれは価値を失って消滅してしまうのではないか。こんな世の中は、せめて、ひとりひとりがさわやかに駆け抜けようと生きてゆければそれで充分ではないのか、という気もする。結局、記録とは、現在の我々を映す鏡なのではないか。これが私の今の仮説である。

そう考えておけば、写真を撮る楽しみを否定する必要は無くなるし、過去や未来を思いわずらうこと無く、楽しく日々を過ごすことができるようにも思う。そんな生活を続けてゆくうちに、私はいつのまにか脱皮して成長することができそうな気がする。その時、こうしてまとわりついている日々の雑念を、ひとまず忘れることができるような気もする。

以前、私は仕事の用事であちこちの墓地を歩いて、そこに刻まれたたくさんの墓碑銘に圧倒されたことを書いたことがあった。そのことは今も忘れていない。それは、生きることの重みや楽しみを経験して、この世を去っていった、たくさんのひとたちの痕跡である。

この世に完全な善人もいなければ、完全な悪人もいないだろう。当たり前のことだけれど、墓碑銘に刻まれたひとびとは、我々と同じ普通の人間である。こんなふうに、ゆるやかに忘れられてゆくことこそ安らぎなのかもしれない。

だから、と言っていいのかどうか、世を去った芸術家の人格をやたらに持ち上げるのが私は嫌いである。彼らにだって忘れられる権利があるのではないだろうか。あまり精緻な伝記研究が私は好きになれない。掘り起こしても仕方の無い事実、というものはあると思う。伝記研究者が、誰の名誉にもならない資料を処分する、ということは責められるべきではないし、それは必要なことであるとさえ私は思う。

作品が、なるべく作者の思ったような形に沿ってまとめられれば、それは自由な解釈を許す、開かれた魅力的な異界として残るだろう。それでも、大多数の作品は時代の変化とともに少しずつ忘れられてゆく。例外的に、ごく少数の特異な作品が時代を越えてよみがえることはあるけれど。

そんな、「忘れられる作法」に値するものを残すためには、相応の労力と礼儀が必要になると思う。私は、残されている生涯の時間を使ってそれに取り組むことになる。それはもちろん、私ひとりの力でできることではない。これは、個人的なようでいて、実は充分に社会的な事業であるのかもしれない。もちろん、それはとても楽しいことであるのは間違い無い。その楽しみは私だけのものでもない。生きる希望は、こんなところに残されている。

外界に目を転じてみると、なんと筒井康隆が芸術院の会員に決まって、その授与式か何かに、例の疑惑だらけの文部科学大臣が出席する、とのことである。これはまるで筒井康隆の小説の中の出来事みたいだ。今、便利だけれども閉塞した現実が、すぐれた作家の作り出したフィクションを模倣しているように私には見える。これを、筒井康隆本人はどう思っているのだろう。再びの断筆宣言を撤回して、これをまた素敵な作品にまとめて欲しい、と私は思う。

筒井康隆のエッセイに「楽しきかな地獄」というのがあったと私は記憶している。私は、この世は地獄でもなければ天国でもなくて、ただこのように在るだけなのだろう、と思っている。私はそこで生命の限り生き続けるだけである。繰り返しになるけれど、そこには他者と共有できる、ささやかな楽しみがある。これこそが写真家の徳なのだろう。

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